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アトリエにて

「最近は、陶芸よりももっぱら絵ですね」。

猛暑が続く8月初旬の午後。
85歳となった元総理大臣・細川護煕は都内のアトリエに私たちを招き入れた。

ロシアによるウクライナ侵攻に心を痛めている細川。展覧会やオークションにみずからの絵を出品し、収益をウクライナ支援のため寄付している。
政治とは距離を置いているようにも見えるが、いまでも現職の国会議員から意見を聞きたいと面会の申し込みがあるという。

非自民総理の誕生

細川内閣が発足したのは1993年8月9日。

7月の衆議院選挙で、自民党は第1党を維持したものの、過半数を割り込み、非自民・非共産の8党派が連立政権を樹立。自民党社会党が対じするいわゆる「55年体制」が崩壊した。

細川は政権交代が実現できた理由をこう語った。

「政治改革という旗印のもとにみんな結集できたことが大きい。あと、時代的な背景として自民党政権にうんざりしていた国民的な空気があったと思う」

細川政権と言えば政治改革だが、自民党政権では成しえなかった踏み込んだ歴史認識の表明や従来の日米関係の見直し、規制緩和の推進など数々の課題に挑戦できたと語った。

「戦後の体制を壊したと言えるんじゃないか。総理になって初めての記者会見で歴史認識の話をして、『先の大戦侵略戦争で間違った戦争だった』と言った。これはもう、すごいインパクトだったと思う」

「日米関係についても、日本は戦後から今に至るまで、アメリカの顔色を伺っている。クリントン大統領との協議で、数値目標は絶対飲まないと、蹴飛ばした。交渉は言うべきことははっきり言った方がよくて、それで日米関係はどうかと言うと、むしろ非常によくなったくらいの話で」

政治改革の裏に『衆院解散も』

そして本丸の政治改革。中選挙区制から小選挙区比例代表並立制への選挙制度の改革が柱となったが、背景にはカネがかかる中選挙区制への問題意識があった。

「私も中選挙区制度で選挙やったことがあるんですよ。落ちましたけど。これは本当にひどい選挙でしたね。いま考えてもゾッとするくらい。実際、カネのかかる選挙、利益誘導型の選挙という状況だったから」

自民党の海部・宮沢両政権で挫折した選挙制度改革。 細川は総理就任直後、直ちに着手した。 政権発足から1か月あまりの9月には「小選挙区比例代表並立制」を導入し「小選挙区250・比例代表250」の政府案を国会に提出した。

法案は、修正などを経て、なんとか衆議院を通過したが、自民党の抵抗や与党の一角を占める社会党の一部議員の造反により翌94年1月21日、参議院で否決される。

政治改革が頓挫しかけた1月28日。

衆議院議長土井たか子のあっせんで自民党総裁河野洋平とのトップ会談が行われた。細川は「小選挙区300・比例代表200」で河野に大幅に譲歩し合意が実現。

政治改革4法は翌日、可決・成立した。

細川は今回のインタビューで、法案が成立せず政治改革がストップした場合、衆議院の解散も検討していたと明かした。

「小沢さんと2人で『解散をやるか』と。もし通らない場合にはそういう話も考えていました。おそらく、自民党は壊滅的な状況になるだろうと。これは55年体制をぶっ壊すには一番いい話だと私はひそかに考えていたんですけど」

当時の連立政権の実力者、新生党代表幹事・小沢一郎衆議院解散の腹合わせをしていたという。自民党の抵抗で政治改革が進まないと訴えれば国民の支持を得られるとの目算だったが、細川は最終的には自民党との合意を優先した。

「考えてみると5つの内閣が関わって2つの政権(海部・宮沢)が潰れて6年かかった話なので。ここまでやって、もう一押しで成立させられるということをダメにするのは少し考えなければならんなと。ただ、本当に今考えても惜しいところだったなという気がしますね」

“ほころび”突く自民党

一方、野党に転落した自民党はどう動いたか。

内情を深く知る元衆議院議長大島理森のもとを訪ねた。

おととし議員を引退した大島は、国会の近くに事務所を構える。地元の青森と東京を行き来しながら、今でも与野党問わず議員からの相談に応じている。

大島は政治改革に挫折した海部内閣で総理側近の官房副長官を務め、細川政権当時は野党・自民党の副幹事長だった。政権から転落し、悲哀を味わったという。

「私自身、野党の立ち位置になったのが初めてだった。党本部の幹事長室は日が経つごとに非常に寂しくなり、与党時代から比べたら来る人も圧倒的に少なくなる。役所の人もそうだったし、経済界もそうだった」

大島は、政権交代が実現した背景には、高まる政治不信に加えて冷戦の終結など時代状況も影響したと指摘した。

「米ソ冷戦構造が壊れて、イデオロギーの対立軸が消滅しかかった時なんですね。従って、日本の政党の連立のあり方も、ある意味では多様な連立が可能になった最初の時代であった」

副幹事長の1人として、対細川政権の戦略を練っていた大島。政権の発足から、そう時間が経たない間に、早くもほころびを感じ取っていたという。

「ワッと連立政権をつくったんですが、そこには連帯感や強い責任感が醸成されるのだろうか、どこかで崩れていくんじゃないかと思っていた。これはひょっとして長く続かないのではないかと」

大島の見立て通り、連立政権は、小沢と官房長官だった武村正義との対立や、コメの部分市場開放など政府の方針に抵抗する社会党の動きもあり、不安定な状況だった。

8頭立ての馬車

政治改革を成し遂げた細川政権

しかし、唐突だった国民福祉税構想の発表と撤回、細川自身に向けられた佐川急便グループからの資金借り入れ問題などを受けて、政権発足からおよそ8か月、1994年4月に総辞職した。

細川は、8党派による連立政権の維持に難しさがあったと振り返った。

「8頭立ての馬車ですから、何としてもまとめていかなければならない苦労はありましたね。『あいつが大臣なのはけしからん』とかいろいろ言ってくる人もいましたし。政治改革の次の目標がなかなか定まらなかったものだから、本当は行政改革とか考えていたが、そこまで行き着かないうちにばらけてしまった」

一方の大島はどう見ていたか。

「細川総理自身、政治の、ある意味ではドロドロしたことを調整することが最も不得手なリーダーではなかったでしょうか。粘り強く自分がなしたいことをやっていく忍耐と運営力がちょっと足りなかったと思いました」

政権を失う理由

細川政権による政治改革の実現から15年後。2009年には衆議院選挙で民主党が大勝。民主党を中心とする3党連立政権が誕生することになるが、3年あまりで再び、自民・公明両党に政権を渡すことになる。

自身も政権のガバナンスに苦労した細川。民主党政権運営に歯がゆさを感じていた。

「今の自公政権でやっているような子育てや全世代型の社会保障マイナンバーとかほとんど民主党政権が言ってたことだ。もう少し、しぶとく政権運営をしていれば。あの時は、官僚を追いやるとか、未熟さがあった。自民党みたいに何がなんでもしがみつくがめつさがないんですよ」

一方の大島。細川政権に続いて再び民主党政権によって野党に転落した理由は、自民党政権担当能力に疑問符が付いたからだと振り返った。

「第1次安倍内閣福田内閣麻生内閣とねじれ国会の状況の中で3年間で3人の総理大臣が代わった。国民は『俺たちの意見も聞かず、自民党内で交代させていくことは政権の正当性があるのか』と。『自民党は自分党になりガバナビリティーや運営力が失われているんじゃないか』と。民主党による『政権交代』の4文字がバーンとあり、『代えてみようじゃないか』と思われた結果ですよね」

日本で再び政権交代は起きるか

2012年の第2次安倍政権以降は自公連立政権に戻り、いわば「自民一強」と野党が乱立する「野党多弱」の状況が続いている。日本の政権交代は再び起きるのか。

「(政権交代は)必要だと思いますね。細川政権だって民主党政権だっていろんなことが変わった。一国が変わるきっかけは政権交代であり、それがあって初めて既得権益が無くなり、惰性を断ち切ることになる」

「どうも愚問のように思いますね。もうここ30年の間に2回あった訳ですから、国民が選ぶんですよ。絶対忘れてもらいたくないし自覚してほしいのは、政権与党であり続けることは、永遠ではない。これが民主主義ではないか」

では、政権交代を目指す野党に必要な要素は何か。

細川は、国民に打ち出す理念と政策をしっかりと磨く必要性を指摘する。

「今の野党はまず反省することでしょう。民主党政権の失敗したことを反省して、しっかりとした旗を立てるということでしょうね。これからの国家像や社会像をしっかり組み立てて政策目標を掲げないといけない」

大島は、みずからの主張を粘り強く広げていく熱意と忍耐を条件に挙げる。

「民主主義は、みずからの理念を打ち立てて政権を勝ち取ろうとする政党間の競争ではないでしょうか。民主党が名前を変えたり、分裂したりするのを見ると、志と熱と技と、それらを含めた数を確保していくことが権力を勝ち取る上で非常に大きな要素と思いますね」

30年前の政権交代を経験した2人。立場は違えど、2人に共通していたのは『緊張感のある政治が国民のためになる』という思いだ。

野党が国民の信を得て政権交代を実現する日が再び来るのか。あるいは自民党を中心とする与党が政権を継続していくのか。政治の行方をしっかりと見ていきたい。

#細川連立政権誕生30年(細川護煕元首相・大島理森衆院議長・NHKKインタビュー)

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#政界再編・二大政党制