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俳優・原田美枝子さん。増村保造黒澤明など日本を代表する映画監督に見いだされ、数々の映画賞を受賞した日本を代表する俳優の1人です。15歳でデビュー、若くして華々しい評価を得ながらも、さまざまな声にさらされ悩んだ時期もあったといいます。そして出産・子育てと人生の多くの転機を乗り越えながら、今もトップランナーとして走り続けています。どうして、そんなに輝いていられるのでしょうか?子育てと仕事の両立に奮闘する鈴木奈穂子アナウンサーが聞きました。

演技のおもしろさに気づいた映画出演

原田さんに話を聞いたのは渋谷にある商業施設。かつてこのビルの1階にあった喫茶店で、原田さんの俳優人生が大きく動き出しました。

鈴木
だいぶこのビルの雰囲気変わったと思うんですけれど、ここが思い出深い場所と聞きました。

原田
そうですね。16歳のときに、『大地の子守歌』っていう映画の監督の増村保造さんとプロデューサーの方と初めてお会いして話したのがこの1階にあった喫茶店だったんですね。
その作品がすごく自分にとって大事な作品だったので、ここは思い出の場所だなと思ってます。自分にとってやっぱり芝居っておもしろいって思った最初だったので。

鈴木
過酷な人生を生きる少女を演じる中で、おもしろさとかそういうものを見いだされた?

原田
そうですね、昔はフィルムで撮っていますので、本番はもう1回しかやらない、ほとんど。お金がもったいないので。その1回の本番のためにワンカットにつき30回ぐらいリハーサルをするわけですよ、テストを。もう許してもらえない、できるまで。一日中、増村監督に「違う違う違う」って言われているようなものなんですけど、のちのち分かったのは、俳優さんの“我”が残ってる間はだめなんですよね、きっと。それを何度もやっていくと、「ああ、もう嫌だ」って放り投げるような瞬間があって、でもちょっと力が抜けた状態で本番になると、それを全部つなげたときにちょうど見やすい。

鈴木
へえー。

原田
だから、最初にもう神髄つかむまで頑張れみたいな、監督に出会ったことがやっぱりずっとベースにあるんですかね。
撮影して最後にアフレコというのをやるんですけど、アフレコのときに映像を見ていて、私がすごい自分の顔が変わったのが分かったんですね。最初のころに撮ったのと後半で撮ったの、全然顔が違うんですね。それで、監督に「顔が違いますね」って言ったら、「そうだな、やっと人間の顔になったな」って言ったんですね。「じゃあ、前はなんだったんですか」って聞いたら、「ただの物だよ」っておっしゃったんですね。その3か月の撮影を通してどんどん表現していく人の顔になっていったんだと思うんですけど。それは自分にとっても衝撃だったし、それがやっぱりおもしろくて、また自分の知らない自分に会いたいっていう思いが原動力っていうか、次、次、次っていうふうに進んでいったのかなと思うんですよね。

先輩からの厳しい助言 俳優人生を一から考え直す

同じ年に出演した映画『青春の殺人者』でも、その演技が高く評価され、原田さんは数々の新人賞を受賞。
映画やテレビドラマへの出演依頼が相次ぎ、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
しかし、その裏で原田さんは人生の岐路にたつことになるのです。

鈴木
あのころの自分はいかがですか。はたから見ていると本当に順風満帆なスタートに見えますけど?

原田
まあ、基本的に生意気でしたね(笑)
でもやっぱり、大人の中にいる子どもではあったんですよね。裸になったりしていたし、そういうことでもいろいろ言われるし、だからやっぱりどっかで大人の中で戦ってないと、なし崩しにおもしろがられて終わりみたいになっちゃいそうだったのかな。だからすごい“よろいを着て”立っていた感じですよね。

鈴木
例えば原田さんの中で、ちょっとこのままじゃ違うのかなとか、考えてみようかなって思ったきっかけは何かあったんですか。

原田
ありましたね。怒られて、すごく怒られて。先輩の俳優さんに、私の芝居がなってないっていうことを怒られたんですけど、それで振り返って、なんでそんな怒られなきゃいけないのかなって最初は思ったんですけど、「ちゃんと生きろ」っていうようなことを言われた気がするんですよ。

つまり、私はそのころそんなふうに偉そうだったので、私の本質とか自分自身のことは、役でやっているんだから見えないでしょって思っていたんだと思うんですよ。でも、映るのは「自分」なんですよね。この体、顔かたち、声、態度が結局、芝居で全部映るわけですから、その人がどういうふうに生きているかっていうことは、もう全部、出てしまうんですよね。演じていても、その奥に。そのことに気がつかなかったんですよね。そこから、芝居だけじゃなくて生き方そのものもきちんとしてないと、「きちんと」っていうのは1つ1つ丁寧にしておかないと、全部映り込んでしまうんだなっていうことに気がついて。それで、一からやり直したいなと思ったんですね。

人生の転機 俳優として母として人として

そんな原田さんの人生に転機が訪れます。29歳で結婚、その後3人の子供を出産。育児をしながらキャリアを重ねいきます

鈴木
もうこの辺り、私はきょうすごく伺いたい。
仕事と子育てをずっとやられた代表のおひとりだと思うんですけれど、そもそも最初、ご長男を産んだあとも俳優の仕事は続けようと思っていたんですか。

原田
そうですね。仕事をしないっていうことがむしろ想像できないふうに育ってきたんだと思うんですけどね。15歳からずっとお仕事していたので。だから、長男を妊娠して、そのとき舞台が決まっていたのを、申し訳ありませんっていって降板したんですけど、それで初めて、なんて言うんだろう、“原田美枝子じゃない時間”になったんですよね。
それは何かすごく、不思議でしたね。不思議な感覚。「あ、なんでもないんじゃない」って。自分が今まですごい肩ひじ張って“原田美枝子”という人を着ていたんだなっていう感じがしたんですけど、妊娠してだんだんおなか大きくなって、「妊婦さんだな、1人の」って思える時間があって、それはとてもいい経験でしたね。

鈴木
その時間は、なんて言うんでしょう、焦りとか、ちょっと一度キャリアが中断されるかもという思いは?
原田
そうですね。どうやって仕事に戻っていいか分かんなくなっちゃったときもありますけどね。

鈴木
子育てをしているときは、仕事の選び方はどういうふうにしていたんですか。

原田
そのときそのときにできることをやった感じですかね。週に1日だったら出られるとか、週に2日だったら、なんとかベビーシッターさんに頼んで出られるとか、母に頼んで出られるとか、そういうのを手探りしながら、失敗したり、もう本当大変でした。

鈴木
失敗したこともあるんですか。

原田
ありますね。もういろんなことがとんでもない、何かこう、ぐちゃぐちゃになっちゃって。
でもいちばん大事なのは子どもがちゃんと生きることじゃないですか。だからそこがいちばん大事だけど、でも自分の仕事も、仕事場に戻ってみるとやっぱりおもしろいんですよね、自分だけの時間っていうのが。やっぱり仕事もやりたい、でも子どもも見たいしっていうのは常にあって、常に綱渡りな感じでしたね。

鈴木
やっぱり物理的にどうしても仕事にかけられる時間が…。

原田
そうですよね。24時間しかないですからね。

鈴木
事前に計画していても、やっぱり子どもが熱出したりして、「あ、私って本当に仕事にかけられる時間減っちゃって、もうこんなんでいいのかしら」って。今、すごくまさにそうなんですけど、原田さんもそういう時代があったんですか?

原田
だってやっぱり台本読みたいじゃないですか。だけど起きている間は無理ですよね、よじ登ってくるでしょう、子どもが。

鈴木
そうですよね。

原田
ひざの上に乗ってきて絵本を持ってきたりするじゃないですか、遊ぼうってなるし。だからある程度になったときに、「あ、もうこれは諦めるしかない」って思って、いったん諦めるっていうことを学んだかな。それは。寝るまでは本を開かないとか、1回自分も寝てから夜中に起きるとか、そういう工夫しかないんですよね。

鈴木
なんか、ちょっと泣きそうです、今。諦めていいっていう。

原田
でもいいんですよ。諦めるというか、子どもが小さいころはお母さんがやっぱりやらなきゃならないことってたくさんあるし、頼ってくるし、それはあとから思うと本当、幸せな時間なんですよ。だからそこも味わってほしいし、今できないことは、あとでいつかできると思って放っておいて、今は目の前のことをやるって決めて、まず一生懸命やる。それで、何年かすると、前にやろうと思っていたことができた、みたいな。本当に目の前のことを1つずつって、呪文のように唱えながらやっていましたね。

“絶対にやりたい役”と家族に願った、映画「愛を乞うひと

子育てに追われる中、原田さんは特別な作品に出会います。
1998年に公開された、映画「愛を乞うひと」。
虐待する母親と、その娘の成長した姿を、一人二役で演じました。この作品で原田さんは“日本アカデミー賞最優秀主演女優賞”を受賞、俳優としての地位を確固たるものとします。

原田
それまでは子育て、次々に3人も子どもを持ったので、本当に1週間に1日、2日の仕事をこなしていく、それでも楽しんでいて、だから自分が、「ああ、なんとなくこのまま終わっていくかな」みたいに思ってたんですけど、よくこのチャンスを私に持ってきてくれました、よく覚えていてくれましたねっていう感じでしたね。だからそれは本当に大変な役ではあったけど、本がすごくおもしろかったので、直感でこれは絶対にすごい作品になるって分かるんですね。それでやっぱりやりたいな、でもこの今の状況でどうやってやるんだろうって、全然想像つかないわけですよ。何をどうすればこの仕事ができるのかっていうのが。だから、そうですね、まず覚悟をする。「これをやりたい、だからみんな協力してほしい。それで3か月頑張ったら、ちゃんとまたお母さんとして戻るから、3か月は仕事をさせてください」みたいな感じでした。そしてもう飛び込んだというか。

鈴木
ただ、虐待をする役は、本当に母としてもつらい役だったと思うんです。その辺りはどうだったんですか?

原田
そうですね、でもやっぱり子育てしていると、もうどなったり叫んだり、叱ったりしながらじゃないと動かないことがあるでしょう。そういう体験をしているので、子どもに八つ当たりしているなと思うことは何度もあったし、それのいちばん過剰な、いちばん激しい状態が虐待という形になっていると思うんですけど。それを単に暴力的に描いているのではなくて、結局、お母さんの心の中が欠けているものがあるから暴力を振るってしまう。それは、やっぱり子育て経験があったから理解できるところもあるし、それから子役さんたちがどういう状態になるかっていうのも分かるので、子どもを見てるので。だから何かやれるような気がしたんですよね。

変化の激しい時代 この時代に生きていく

そんな、原田さんが今、主演を務めているのが、舞台「桜の園」です。ロシアの貴族が時代の変化に取り残され、没落していく物語。
原田さんは、その貴族の女主人を演じます。

原田
今、ショーン・ホームズさんというイギリス人の演出家の方が演出をしてくれているんですけど、すごくおもしろいんですよ。今はね、私たち、日本にいるのにロンドンの演劇学校に留学しているみたいな感じなんですよ。だからすごく一生懸命聞いてる学生みたいな感じで楽しいですね。
この年齢になってそういう楽しみがあったんだって。何かもう終わりかなって思うんですよ。何度も。これ最後かなって。このぐらいがいちばん上かなとかって思うことはよくあるんですけど。

鈴木
今の、「これそろそろかな」っていうのは、ちょっとびっくりというか。いや、でも、まだまだ。どうなんですか。引退を考えてらっしゃるってことですか。

原田
そうですね。引退を考えましたね。60歳を過ぎたときに。引退ってあるんだなと思いました。肉体的に、なんて言うんですか、区切りみたいな。あ、ここで1回終わって、あとは違う人生を生きたっていいんだよねって、なんか。わりと自然なことなのかなと思いました。

鈴木
会社の定年みたいなところですか。

原田
そうです、そうです。もういいかなって、あんまり自分が年取っていくの見たくないなっていうのもありますし。だから、そんなにこだわる必要ないなって思うんですよ。例えば死ぬまでやり続けなきゃいけないということにこだわることもないし、いったん休憩ってなってもいいかもしれないし。そのまま、もうやめますってなってもいいかもしれないし、分かんないですけど。流れのままに。

鈴木
原田さんは、「ちゃんと生きる」ことが大切だと、若いころに気づいて、ご自身や周囲の変化に対応していったということですが、これからの時代どう生きていかれますか?

原田
例えばコロナのときにやっぱり衝撃的でしたね。街から人がいなくなったり。何もするなって言われたわけじゃないですか。何もしないで家でじっとしていてくださいって。何が起きているかよく分からないのに。こんな変化がくるとはっていう。どんな時代でも絶対に幸せな時代が一生続くってことはありえないじゃないですか。どの時代を切ってもね。何かしら大変なことが起きてるでしょう。
でも、やっぱりそれを生き抜いていったり、何かすてきなことを見つけたり、なんか楽しいことを見つけたりしていくのが、やっぱり生き物の宿題というか、やるべきこと?希望を見つけていくとか。それが大事なんだろうと思うんですよね。
こんなにしんどい中でも、こんなきれいな花が咲いているよとかっていうことを見つけられるかどうかっていうのが、きっとなんか生き物の楽観性でもあるし、希望。なんて言うんですかね。生きる力になっていくのかなと思うんですけど。

鈴木
絶望を感じたり、変化を感じて、受け入れて、そこからじゃあ何かっていうところが。

原田
どう立ち上がるかっていうのは。
だって芝居って、もう何千年も前からあるじゃないですか。だいたいは悲劇じゃないですか。苦しみ。でも最後に、なんか希望の光を見いだしていくっていうのが、たぶんドラマとか舞台とか映画とかに共通するものだと思うんですよね。
いかに楽しく、こんなすてきだったんだって、生きているってすごいすてきだよねって思える瞬間を見つけられるかどうかが、大事かなと思うんです。

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