“天皇陛下に式辞の紙手渡す” 額賀衆院議長 宮内庁側に謝罪https://t.co/oTfze5Z5Dx #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) October 23, 2023
先週20日の臨時国会の開会式では、新たに就任した額賀衆議院議長が、式辞を読み上げたあと、天皇陛下の前に進み出て式辞の紙を手渡してしまう手順の誤りがありました。
これについて23日の衆議院議院運営委員会の理事会で立憲民主党が経緯を質問したのに対し、自民党の山口委員長は、額賀議長は開会式の前日に2回リハーサルを行い、当日も書面で手順を確認していたと説明しました。
また、額賀議長は開会式のあと皇居を訪れた際に宮内庁の西村長官に謝罪し、西村長官は「陛下も気にされておりません」と述べたということです。
衆議院では岡田事務総長が改めて西村長官に謝罪するとしています。
【独自】額賀議長が宮内庁に謝罪 天皇陛下に誤って文書を手渡したミスを受けて #FNNプライムオンライン https://t.co/RFiBj908yX
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新たに就任した額賀衆議院議長が、天皇陛下に誤って文書を手渡したミスについて、額賀議長本人が皇居を訪れ、宮内庁側に謝罪していたことがわかった。
議長の謝罪は前代未聞。
額賀議長は20日、国会の開会式で式辞を読んだ後、本来は式辞の文書を持って演壇から退出するべきところ、誤って陛下の座られる席へと階段を上がり、文書を手渡しした。
陛下は、やや困惑したような表情を浮かべながらも笑顔で文書を受け取られ、額賀議長はその後の会見で「緊張した結果で反省する」と述べていた。
しかし関係者らから「反省だけでは許されない」といった声も出ていたため、額賀議長本人が開会式後にお礼のため皇居を訪れた際、宮内庁側に謝罪をしたという。
#額賀福志郎(衆議院議長・式辞の文書を持って演壇から退出するべきところ階段を上がり天皇陛下に文書を手渡し)
#天皇家
1888年10月23日、三島通庸が亡くなりました。
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薩摩藩士として戊辰戦争では新政府側で戦い、大久保利通の計らいで、政府に出仕します。
1882年の福島事件では、新政府に反発する自由党員、農民を弾圧し「鬼県令」と恐れられました。
また通庸の息子は、日本最初のオリンピック選手の三島弥彦です。 pic.twitter.com/LeZO0ORXmk
1964年10月23日、東京オリンピック女子バレーボールで日本がソ連を破り金メダルを獲得しました。
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河西昌枝をキャプテンに世界選手権で優勝するなど日本代表は快進撃を続け、東洋の魔女と呼ばれました。
日本とソ連の試合は視聴率66.8%を叩き出し、現在でもスポーツ中継歴代最高視聴率となっています。 pic.twitter.com/WY44lIU5bW