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#renatapereira「群馬旅行」

東京・港区にオフィスや商業施設などが入る高さ330メートルの超高層ビルが、24日、開業しました。大阪市にある「あべのハルカス」を抜いて日本一の高さになります。

このビルは大手不動産会社「森ビル」などが再開発を進めている東京・港区の虎ノ門・麻布台地区に建設されました。

地上64階、高さは330メートルと、大阪市の「あべのハルカス」を抜き、現時点で日本一の高さのビルになります。

24日は、開業を記念する式典が行われたあと、利用客が次々と訪れ、商業用のフロアで食事や買い物を楽しんでいました。

利用客の男性は、「妻に小物を買うために来ました。きょうの開業で外国人客も含め、都心がにぎわってほしい」と話していました。

「麻布台ヒルズ」と名付けられたこのビルを含む一帯には、ほかにもオフィスやマンション、それに「デジタルアート」などの文化施設も整備され、災害時には、3600人程度の帰宅困難者を受け入れる態勢も整えられているということです。

森ビルで、この再開発を担当する中裕樹さんは「ようやく開業を迎え、期待と緊張が入り交じった思いです。国際競争力の強化に寄与する場所にしていきたい」と話していました。

都内では、東京駅の日本橋口近くでこのビルを上回る高さ385メートルのビルが2028年の完成を目指して建設が進められるなど、超高層ビルの建設が相次いでいます。

麻布台ヒルズ(開業・高さ日本一330メートル超高層ビル

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#滋賀県三日月大造知事・ファイザー社・情報提供連携協定)

奈良公園のシカを保護している「奈良の鹿愛護会」は、農作物を食い荒らすなどしたシカを施設内にある「特別柵」というエリアに収容していますが、専属の獣医師から、十分な餌を与えずに衰弱させているという通報が県や奈良市などに寄せられました。

これを受けて奈良市は、法律に基づいて獣医師や大学教授による立ち入り調査などを進めたうえで、24日「虐待は認められなかった」とする調査結果を発表しました。

市によりますと、シカの一部は栄養不良で餌やりや水やりも不十分だったということですが、故意とは認められず虐待を裏付ける証拠もなかったということです。

一方、調査結果では、衰弱して死亡するシカが多いことや、過密に収容されている点などを指摘していて、市は愛護会に対し改善を求める行政指導を行ったということです。

奈良市の仲川市長は「虐待ではないことが確認できたが、シカが望ましい状態で暮らしているのかについては疑問が残る。改善の余地はあり、特別柵のあり方について今後、議論していく必要がある」と話していました。

奈良の鹿愛護会 事務局長「衛生状況を保つのは困難」
奈良市の調査結果について「奈良の鹿愛護会」の山崎伸幸事務局長は「虐待はなかったという客観的事実が認められ、われわれの主張が調査で明らかになった」と述べました。

一方、会では、特別柵に収容されているシカのうち、人に慣れていないシカを別の区画に移して密度を減らす新たな取り組みを始めたということで「収容するシカの数が増え続けるかぎり衛生状況を保つのは困難だ。県や市などに収容する頭数の上限を示してもらい、それに基づいて運営していきたい」と話していました。

獣医師「餌の質や量について具体的な指摘がないことに疑問」
奈良県奈良市などに通報した「奈良の鹿愛護会」の獣医師、丸子理恵さんは「市の調査に携わった専門家の中にシカの餌の専門家がいない。調査で、餌の質や量について具体的な指摘がないことに疑問を感じる。特別柵のシカは私が通報した後も死んでいて、事態は改善されていないと思う」と話していました。

特別柵のあり方について 1年後をめどに対策示す
特別柵での収容を巡っては、奈良県がすでに施設の環境が不適切だとする調査結果を示していて、まずは、「奈良の鹿愛護会」が有識者のアドバイスを受けて環境を改善するべきだとしています。

そのうえで県は、今後の「特別柵」のあり方について検討するため獣医師や農業関係者なども加えた部会を設置して、1年後をめどに対策を示すことにしています。

鮫島 10歳で明石市長になることを決意した泉少年は、やがて東大に入学して故郷・明石を離れます。東大時代はどんな学生だったのですか?

泉 18歳で大学進学と同時に上京し、故郷を離れるんですが、東京でも1日遅れで神戸新聞を取ってました。なぜかというと、神戸新聞の明石版を読むため。私はどこにいようが、ずっと神戸新聞の明石版を読み続けています。それは、世の中の誰よりも明石に詳しくなる必要があったから。おそらく、いまの私は全人類の中で一番明石に詳しいはずです。だからこそ、私は故郷・明石のことを心から憎み、心から愛してるんです。誰よりも明石について知っているからこそ、まだ消えない理不尽に対して、誰よりも強い憎しみを抱いている。

鮫島 それは凄い。本当に、明石市長になるために人生を懸けていたのですね。

泉 半端な思いでやってないんです。上海の北に人口750万人ほどの無錫(むしゃく)という市があり、1981年に明石市姉妹都市提携をしました。1986年、5周年記念を祝う式典が催され、明石市民が無錫に招待された。当時22歳の私は、呼ばれてもないのに勝手にバックパックを背負ってその会場に行きました。そして、式典が開催されたホテルの壁画を見ながら、「次は市長としてここに帰ってきて、この壁画を見る」と心に誓いました。

実際に、それから25年経った2011年、姉妹都市30周年の記念式典で明石市吹奏楽団を引き連れて、市長として無錫に戻ることができました。その時は「25年かかったか」と感慨深いものがありました。

鮫島 たくさんの政治家を見てきましたけど、自分の故郷を「心から憎み、心から愛している」と言い切れる人は初めてです。梶山静六さんは、故郷・茨城への愛を「愛郷無限」と言いましたが、「故郷を愛する」と訴える政治家はたくさんいても、「心から憎み、心から愛している」という人はいない。でも、憎しみがあったからこそ、「優しいまちに変えたい」という泉さんの政治家としての原動力が生まれた。これほど一貫した人生を歩んでいる政治家は他にいないかもしれません。

鮫島 学生時代に話を戻します。大学に出した退学届けはどうなったんですか?

泉 いったんは、完全に東京の家を引き払って明石に戻っていました。地元で塾でも開いて生活しなきゃいけない、ぐらいに思っていたんですね。結局、半年後に、当時の東大の学部長から「泉くん、何してる?」と電話がありまして。「自分らは負けたんだから誰かが責任を取らないと。だから退学して地元に戻った」と近況を伝えたところ、「本当にそれは君のやりたいことなのか。そうじゃないなら、君にはまだやるべきことがあるはずだ。みっともなくても恥ずかしくてもいいから、帰ってきなさい」と言われ、復学することになりました。結局、退学届けは受理されてなかったんです。

涙を流しながら東京に戻り、卒業後NHKに入りました。その後、テレビ朝日に移り『朝まで生テレビ』の草創期を番組スタッフとして担当し、その後、石井紘基さんの本を読んで感動しまして。石井さんを国会に送り込むために、石井さんの近所に引っ越して秘書として選挙を応援しました。ところが、選挙で負けてしまい、石井さんに謝りました。「私はあなたを(選挙で)通したかったけど、ダメでした。次こそ通しますから頑張りましょう」と。そしたら、「これ以上、君を引っ張りまわすわけにはいかない。騙されたと思って、まず弁護士になりなさい。君はいつか政治家になる。でも急いではいけない」と強く言われ、司法試験を受け弁護士になったのです。

若くして立候補した政治家をたくさん見てきた石井さんは、「まずはちゃんと世の中を知るべきだ」とお考えだったんです。「弁護士として本当に困っている人を助けることで勉強しなさい」と。「いずれ政治家になった時に、弁護士としての経験が必ず生きてくる」というアドバイスだったのです。

1997年、33歳の時に弁護士資格を取得して、明石市に戻り、市民活動のお手伝いなどに奔走しました。2000年4月に法律事務所を開業した時には、市民の方々からたくさんの胡蝶蘭が送られてきました。その時、すでに明石の一定の方々からは、「あの泉がついに明石のために帰ってきた」と認識されていたんですね。まあ、私の場合、子どもの頃から「どうかしてる奴」として有名でしたから(笑)。

国会議員になると、得られる情報が増えます。国会図書館や官僚を活用しまくって、明石市長になったらやるべきことの整理を始めました。フランスの少子化対策なんかもその頃に勉強して、市長になったら参考にしようと決めていた。

10歳から明石市長になることに懸けてましたから、カッコつけた言い方をすると「なり方」にもこだわりたかった。市民だけを味方にして勝たないと、私にとっては意味がなかったんですね。中途半端に既得権益に担がれたら、結局、何の改革もできないまま任期を終えることになります。それだけは避けたかったのです。

#泉房穂(「私は故郷・明石のことを心から憎み、心から愛してるんです」・石井紘基「弁護士として本当に困っている人を助けることで勉強しなさい」「いずれ政治家になった時に、弁護士としての経験が必ず生きてくる」)

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