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警視庁が創設されてから150年となる15日、天皇皇后両陛下も出席されて記念の式典が開かれ、天皇陛下はおことばのなかで能登半島地震の犠牲者を悼む気持ちなどを述べられました。

天皇皇后両陛下は、15日午前10時半すぎ、東京 霞が関の警視庁本部に到着し、警視庁の幹部の出迎えを受けられました。

警視庁の前身の「東京警視庁」は明治7年に創設され、現在の警視総監にあたる初代「大警視」には、ヨーロッパで警察制度の調査を担った川路利良が任命されました。

創設から150年を迎えた15日、天皇皇后両陛下も出席されて記念の式典が開かれ、天皇陛下がおことばを述べられました。

天皇陛下は、まず、能登半島地震の犠牲者を悼む気持ちと遺族や被災者へのお見舞いの気持ちを表したうえで、「今なお安否が不明の方や避難を余儀なくされている方も多く、救援と復旧の作業が速やかに進むことを心から願っています」と述べられました。

そして、警視庁が創立から150年を迎えたことについて、「警視庁は、首都警察としての機能だけでなく、都道府県警察の中で最大規模の組織としての重要な役割も担っていると聞いており、皆さんが今後も社会情勢の変化に対応しつつ、責務を果たしていくことが望まれます」と話されました。

式典では小島裕史警視総監が「都民、国民一人一人の平穏をおもんぱかる姿勢は、警視庁の伝統的精神です。都民、国民の期待と負託に応えていきます」と述べました。

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#天皇家

柔道の創始者IOC国際オリンピック委員会の委員も務めた嘉納治五郎が、幻となった1940年の東京オリンピックの招致の経緯を詳細に記した書簡が新たに発見されました。

1940年の東京オリンピックはアジアで初の開催となる予定でしたが、日中戦争の激化のため開催が返上されました。

今回見つかったのは、その幻となった東京オリンピックの招致に尽力したことで知られる柔道の創始者でアジア人初のIOCの委員、嘉納治五郎が記した書簡の下書き11枚です。

1934年5月付けで当時の東京市長に宛てて書かれたもので、招致の経緯などが詳しく記されています。

1940年の開催地は、ローマが有力視されていたもののイタリアの首相だったムッソリーニが招致を辞退し、東京への招致にもつながったとされています。

書簡には、嘉納氏がフランスのIOC委員からムッソリーニを説得する案を示されたことや、ムッソリーニと親交のあったアメリカのIOC委員が仲介役を名乗り出たという経緯が記されています。

日本は1933年に国際連盟を脱退するなど国際的に孤立を深めていましたが、嘉納氏と各国のIOC委員との間には信頼関係があったことをうかがい知ることができます。

さらに書簡では、欧米中心で開催されていたオリンピックをアジアで開催する意義についても記していて、招致への強い思いがうかがえます。

オリンピックの歴史を研究している筑波大学の真田久 特命教授は「ムッソリーニへの依頼の背景がはっきりとし、非常に緻密な行動していたことが分かった。日本が政治的に孤立する中で、スポーツの世界では世界と強くつながっていったと見ることもできる。非常に価値のある資料だ」と話していました。

また、講道館の桐生習作さんは「パリオリンピックが開催される節目の年にオリンピック招致に向けた嘉納師範の活動を皆さんと共有できることをうれしく思う」と話していました。

見つかった書簡は、今月5日から東京 文京区の講道館にある資料館で展示されています。