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東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う慰謝料をめぐり、6年前の2018年、国の仲介による和解の手続きが打ち切られた福島県浪江町の住民およそ700人が、国と東京電力に賠償を求めた裁判は、国の賠償基準を超える水準で和解金を支払い、謝罪することなどで東京電力との間で和解が成立しました。国への訴えは取り下げられました。

原発事故のあと一時、全域に避難指示が出された浪江町の住民696人は、6年前、東京電力の慰謝料をめぐり、国の「原子力損害賠償紛争解決センター」による「ADR」と呼ばれる和解の手続きが打ち切られたことを受け、国と東京電力に対して1人当たり1210万円の賠償を求める訴えを起こしました。

裁判は去年、2023年6月に結審しましたが、裁判所が2月、「原告の多くは十分な賠償を受けることができておらず、無念な思いを抱えたまま亡くなった人も少なくない」として和解を勧告し、この際、「国は原発の防災対策のあり方を先送りせず真摯(しんし)に検討するべきだった」とも指摘しました。

原告の弁護団によりますと、14日、原告全員について、東京電力がおととし、国が示した賠償基準を超える水準で和解金を支払うことや、直接謝罪することなどを条件に和解が成立したということです。

これを受けて原告側は、国への訴えを取り下げ、訴訟が終わりました。
原発事故に伴う慰謝料の訴訟 その経緯は
原告の福島県浪江町の住民たちは11年前の2013年、原発事故に伴う慰謝料をめぐる争いの早期解決を求め、国が設置した「原子力損害賠償紛争解決センター」に和解の手続きを申し立てました。

申し立てに参加した住民は当時の町の人口のおよそ7割、1万5000人余りに上りました。

その翌年、2014年にセンターが、町の被害の状況を踏まえて国の指針で示された慰謝料を増額する和解案を示しましたが、東京電力は「他の避難者に対する公平性などの面で影響が大きい」などとして受け入れを拒否しました。

その後も協議が続けられましたが東京電力は拒否し続け、申し立てから5年が経過した2018年4月に、「仲介手続の継続は困難」として国の仲介による和解の手続きは打ち切られました。

これを受けて、2018年11月、住民側は国と東京電力に対し、慰謝料の増額を求めて訴えを起こしました。
原告団長「被災者の生活に一区切りをつけられる」
和解が成立したあと原告団福島市内で記者会見を開きました。

この中で、原告団弁護団長を務める日置雅晴 弁護士は、和解が成立したことについて「裁判所は和解勧告の際、『当時の国の原子力損害賠償紛争解決センターが示したADRの和解案には十分な合理性があったのに、東京電力が拒否したことで町民の強い期待を裏切った』とした。今回の和解は原告団弁護団にとって苦渋の決断ではあるが、町民が勝ち取った成果として大きな意義があり、今後の町の再生・復興にもつながるものと言える」と話していました。

また、原告団長の鈴木正一さん(73)は「ADRの申し立てから904人の仲間が亡くなり、原告は皆、早期解決を望んだので和解で決着をすることにした。ADRは国の制度なのに不誠実な東京電力の対応になんの指導もなかった。きょう、想定した以上の解決が原告全員でできたことで、被災者の生活に一区切りをつけることができると思う」と話していました。

ハンバーグが人気のレストランチェーンを静岡県内で運営する「さわやか」の創業者、富田重之さんが、12日、老衰のため87歳で亡くなりました。会社は14日、すべての店舗を休業し、富田さんをしのんでいます。

富田さんは静岡県浜松市出身で、県内34店舗を展開する「炭焼きレストランさわやか」の前身となる1号店を、1977年に今の菊川市にオープンしました。

牛肉100%の炭焼きのハンバーグが人気を集めて、店舗を拡大し、首都圏や中京圏などからも大勢の客が訪れ、静岡を代表するレストランチェーンに成長させました。

会社は、富田さんが12日に老衰で亡くなったと発表し、出身地の浜松市内では、しのぶ声や、店での思い出を語る声が聞かれました。

この春に大学生になり、県外に出るという女性は、「小さいころから特別な時のご褒美で食べていました。創業者が亡くなったのは残念ですが、これからも地元に戻るたびに食べたいと思います」と話していました。

60代の女性は「おいしいハンバーグを作ってくれて感謝しています。その思いは引き継がれると思うので、これからも食べに行きます」と話していました。

会社は14日、すべての店舗を休業し、富田さんをしのんでいます。

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