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もちろん人にもよりますが、平安時代中期になると、貴族たちは極楽浄土へ行くことにこだわるようになっていました。そのための方法の一つが出家です。藤原兼家は永祚2年(990)1月5日に行われた一条天皇元服儀で加冠役を務めると、同年5月5日に関白に任じられますが、わずか3日で病気を理由に嫡男・道隆へ関白の座を譲って出家しています。出家には、極楽浄土にいる御仏に仕える身となって奉仕し、少しでも極楽へ行けるようにという願いが込められているんですね。なので、晩年に自分の意志で出家する人もいましたし、病気で倒れた方の死を覚悟し、家族が当人の極楽往生を願って剃髪(ていはつ)を受け入れることもあったようです。

若者が出家する場合はお寺に入って修行をするのですが、兼家の場合は別邸を寺院に改め、在家出家をしています。

当時の貴族たちは、「必ず極楽へ行きたい」という純粋な願いから出家をしていました。

永祚2年(990)に父・藤原兼家が死去して新たに摂政となった道隆は、自らの政治的な立場を強固なものとするために、一条天皇に入内(じゅだい)していた娘・定子を天皇の正妻である皇后にすることを望みました。しかし当時、太皇太后、皇太后、皇后の三后はすべて埋まっており、定子を立后させることは難しい状況でした。

太皇太后(たいこうたいごう)】
昌子内親王(まさこないしんのう) … 63代・冷泉天皇の皇后。61代・朱雀天皇の皇女。

【皇太后(こうたいごう)】
藤原詮子(ふじわらのあきこ) … 64代・円融天皇の女御で、一条天皇の母。藤原道隆の同母妹。

【皇后(こうごう)】
藤原遵子(ふじわらのぶこ) … 64代・円融天皇の皇后。藤原公任の姉。

本来、皇后は天皇の正后の位です。遵子は退位した円融院の后であり、一条天皇の后ではありません。そこで道隆は、三后の別称であった中宮を新たな后とし、この中宮を皇后と同様の扱いにしてその座に定子を就かせることを思い付き、強引に推し進めました。

中宮(ちゅうぐう)】
もともとは太皇太后、皇太后、皇后の住まいのこと。転じて三后の別称となる。皇后とほぼ同格。

遵子が皇后にとどまる中で立后した定子。これによって皇后と中宮が並立する状況が初めて生じ、遵子に置かれていた中宮職は定子に置かれ、遵子には新たに皇后宮職が置かれました。思惑どおり権力をさらに強める道隆ですが、この皇后と中宮の並立という状況は、のちに末弟・道長にうまく利用されることになります。

国司(こくし)】
地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏のこと。四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)らを指す。

【女房(にょうぼう)】
宮中に奉仕、あるいは貴族に仕える女官。

主任検事である「布施健」を演じた森山未來がただただ説得力に満ちた存在であった。

その貫禄が尋常ではなかった。

そうか、森山未來は、もう、これだけ存在感を示す役を演じられるようになっているのかと、ちょっと感慨深かった。

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