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インド総選挙で、モディ首相率いるインド人民党(BJP)中心の与党連合が過半数を獲得し、モディ政権の3期目入りが確実な情勢となった。ただ、BJPが圧勝するとの当初予想に反し、単独過半数獲得には至らなかった。

地元テレビ局によると、1615GMT(日本時間5日午前1時15分)時点で、BJP中心の与党連合「国民民主同盟(NDA)」は下院543議席のうち290議席程度を獲得する見込み。開票は終わりに近づいているが、最終結果が判明するのは4日夕方以降になるとみられる。

モディ首相は開票開始後初のコメントで、国民がBJP主導の連立政権に3期目を託したことは歴史的だと述べた。ニューデリーの党本部で、歓声を上げるBJP党員らに対し「国民の祝福はわれわれの士気を高め、新たな力を与えてくれる」と宣言した。

インドの総選挙でモディ首相率いるインド人民党(BJP)中心の与党連合が過半数を獲得したことを受け、米政府は4日、人権問題を巡る議論を含め、インドとの緊密な関係を継続することを期待しているとの姿勢を示した。

モディ政権の3期目入りが確実な情勢となったが、BJPが圧勝するとの予想に反し、単独過半数獲得には至らなかった。

国務省報道官は記者団に「米国とインドが引き続き緊密なパートナーシップを築くことを期待している。政府レベルでも、人と人とのレベルでも、素晴らしいパートナーシップがあり、それが継続することを大いに期待する」と語った。

モディ首相が昨年訪米した際、両国は半導体、重要鉱物、技術、防衛、宇宙協力に関するさまざまな合意を発表した。

国務省報道官は一方、人権に関する懸念も引き続き提起していくとした。

4日開票が行われたインドの総選挙で与党連合が過半数議席を維持し、モディ首相が勝利宣言をしました。ただ、与党は大幅に議席を減らしていて、高い経済成長の一方で経済格差や失業問題が深刻化したとする不満が農村部を中心に選挙結果に表れたとみられています。

インドの議会下院の選挙は4日一斉に開票が始まり、選挙管理委員会によりますと、日本時間の5日午前9時までに543議席すべてが確定し、モディ首相率いる与党、インド人民党を中心とした与党連合は293議席を獲得して、過半数を維持しました。

モディ首相はニューデリーで勝利宣言を行い「きょうの勝利は、世界最大の民主主義国家の勝利でもある」と述べて、今後、3期目の政権維持に向け連立与党内での協議を急ぐものとみられます。

ただ、与党インド人民党の単独では議席を大幅に減らして、過半数を割り込む240議席にとどまりました。

一方、野党連合は、出口調査の予想に反して大きく議席を伸ばし、モディ政権のもとで高い経済成長が続いた陰で経済格差や失業問題が深刻化したとする不満が農村部を中心に選挙結果に表れたとみられています。

最大野党の国民会議派ラフル・ガンジー氏は「選挙で明らかになったのは国民がモディ首相に退陣を求めていることだ」と述べ、野党連合として政権樹立を目指していくのかなど、今後の対応についてほかの野党と協議していくとみられます。

インド総選挙の開票作業が4日始まり、モディ首相率いるインド人民党(BJP)中心の与党連合は過半数を獲得したが、出口調査で見込まれた圧勝には至らないことが明らかになった。一方で野党連合が予想以上に善戦し、これを嫌気して金融市場は急落した。

ほぼ半分が開票された現在の情勢では下院543議席中、BJPは250議席以下で単独過半数には届いていない。前回2019年選挙では303議席を獲得していた。前々回の14年にも単独過半数を獲得していた。

地元テレビ局によると、1100GMT(日本時間午後8時)時点でBJP中心の与党連合「国民民主同盟(NDA)」は300議席近くを獲得。ラフル・ガンジー氏の国民会議派が率いる野党連合は220を超え予想以上の議席を確保している。

1日の投票締め切り後に公表された出口調査では、NDAが3分の2の議席を獲得すると見込まれていた。これを受けてインド株式市場は3日に過去最高値を更新していた。

野党の健闘を受け4日の株式市場は一時8.5%下落。NSEニフティー50指数(.NSEI), opens new tabは5.93%安の2万1884.5、SENSEX指数(.BSESN), opens new tabは5.74%安の72079.05で引けた。通貨ルピーも対ドルで急落、国債利回りは上昇した。

CBCシンガポール)の資戦略担当マネジングディレクター、バス・メノン氏は、「与党連合の獲得議席は予想よりも小幅で、経済成長持続に重要な政治的に困難な改革を推し進める新政権のの能力に疑問が生じる可能性がある」と指摘。「ただ与党連合は勝利収める見通しで、インフラと製造業主導による経済成長促進への政府の取り組みが継続することを意味する」と述べた。

インドのナショナル証券取引所(NSE)が発表した暫定データによると、4日の取引で外国機関投資家(FII)のインド株売り越し額が1243億6000万ルピー(約15億ドル)と過去最高を記録した。

インド総選挙の開票作業が4日始まり、モディ首相率いるインド人民党(BJP)中心の与党連合は過半数を獲得。ただ、BJPが圧勝するとの当初予想に反し、単独過半数獲得には至らなかった。

これを受け政策の継続性に対する懸念から、NSEニフティー50指数(.NSEI), opens new tabとSENSEX指数(.BSESN), opens new tabはともに約6%下落し、新型コロナ禍の行動制限を受けて市場が急落した2020年3月以降で最悪のパフォーマンスとなった。

FII売り越し額のこれまでの過去最高は今年1月17日の1057億8000万ルピーだった。

DSPミューチュアルファンドの株式担当責任者、ビニット・サンブレ氏は「BJPが主導する政権下で進められてきた改革の減速が懸念されており不透明感が漂っている」と述べ、投資家が見通しを再評価する中、市場の調整につながったと指摘した。

国内機関投資家(DII)も売り越しに転じ、売り越し額は331億9000万ルピーと約2カ月ぶりの高水準となった。

「地方出身で首相まで上り詰めたこと、政策の実施能力の高さが田中角栄元総理大臣に通ずるところがある」

こう評されるインドのモディ首相。今回の総選挙では与党が大幅に議席を減らしながらも、与党連合で過半数議席を維持し勝利宣言しました。

そもそもモディ首相はどんな人物なのか。私たち日本はインドにどう向き合っていけばいいのか。
14億人のリーダーの素顔をさぐるため、モディ首相をよく知る人たちを訪ねました。

(「クローズアップ現代」取材班)

14億人のトップが生まれたのは?

車が通ると舞う土ぼこりに、道路脇の小さな露店。

インドの日常風景が広がる小さな町がモディ氏のふるさとです。

インド グジャラート州 ヴァドナガル

インドでは酷暑期となる5月上旬。

日中の最高気温が40度を超えるなか、私たちは14億人を率いるリーダーとなったモディ氏の原点を探ろうと、インド西部にあるグジャラート州のヴァドナガルに向かいました。

訪ねたのは60年ほど前にモディ氏が4年間通っていた学校です。今でも建物はそのまま残っていました。

モディ氏の母校

出迎えてくれたのは、モディ氏と同じ名字のモディ校長です。さっそく2枚の写真を見せてくれました。

金庫から慎重に取り出した白黒写真には、学校行事で劇を披露するモディ氏の少年時代の姿が写っていました。

舞台に立つ少年時代のモディ氏(左)

モディ氏が演じたのはこの州に伝わる物語の勇敢なリーダーで、貧しい人を手助けする役だったといいます。

もう1枚はモディ氏が前にかがんだ姿勢で親指を額につけている写真。

母校を訪れたモディ氏

2017年、すでにインドの首相に上り詰めていたモディ氏が、学校の土を額につけて敬意を表すしぐさを示した様子を写したものだそうです。

当初は学校を訪問する予定はなかったものの、たまたま近くを通りかかったときに急きょ予定を変更し、母校を訪れたと説明してくれました。

「少年時代は1日3回駅で紅茶売り」

次に実際にモディ氏が勉強していたという教室を案内してくれました。

ここでモディ氏の少年時代の話を聞かせてくれたのは、幼少期から教室で文字どおり隣で席をならべてともに過ごしてきたというデサイさんです。

同級生のデサイさん
デサイさんはこちらが質問する前に、せきを切ったように「友達」だったモディ氏とのエピソードを話し始めました。

デサイさん
「11年生の時、モディさんを含めて友達数人で過ごしていると、ビハール州から来たという占い師がやってきました。

1ルピーを渡すと、私たちの将来を占ってくれました。私の手相やモディさんの額を見てくれました。占い師は『あの男の子は偉大な宗教的指導者になるか、偉大なリーダーになる』と言いました。

私たちは『チャイを売る少年がまさか』と笑いましたが、それが現実になったのです」

デサイさんが話した「チャイ」とはインドでよく飲まれているインド式の紅茶のことです。インドでは道路脇の売店や駅などいたるところでチャイを飲みながら一息入れる人の姿を見ることができます。

デサイさんによると、毎朝6時、昼の学校の休み時間、それに夕方、1日3回近くの駅に行き、屋台でチャイを受け取ると列車に乗り降りする人に売っていたということです。

売れ行きは好調で稼いだお金は家族に渡していたといいます。

当時は、1日に何度も駅にチャイを売りに行かないといけないほどの暮らしぶりだったのか。

モディ氏の家の近くに住み、幼いころ母を亡くしてから、モディ氏の母親に、モディ氏とともに一緒に育てられたというシャマドバイさんは、こう証言しました。

幼なじみのシャマドバイさん

シャマドバイさん
「お金なんてありませんでした。彼はやかんを持ってチャイを売っていました。家には穀物を粉にする機械があって、それが稼働していただけです」

シャマドバイさんは、いまもモディ氏とつながりがある印として「PRIME MINISTER」と書かれた白い封筒とモディ氏からの手紙を見せてくれました。

毎年モディ氏の誕生日にお祝いの手紙を送っていて、必ず返事を返してくれるのだといいます。

手紙は直筆ではなく個人的なメッセージはありませんでしたが、地元で使われているグジャラート語でこう書かれていました。

「あなたの気持ちのこもった言葉に私は圧倒されました。国民から常に頂いている計り知れない愛情をとても幸運だと思っています。私に対するこの信頼は、国のために私が継続的に献身するエネルギーを与えてくれる一番大きな力となっています」

デサイさんは学校での取材のあと、実際にモディ氏が少年時代チャイを売っていた近くの駅を案内してくれました。

駅舎の外にはやかんのモニュメントがありました。当時の暮らしぶりを伝えるシンボルとして新たに設置されたのだといいます。

やかんのモニュメント

駅の構内を見ると現在は小さな町としてはかなり整備されている印象で、当時チャイを販売していた屋台も保存されていました。

チャイを販売していた屋台

デサイさんは昔を懐かしみながら振り返りました。

デサイさん
「ここに来るとナレンドラバイ(モディ氏の名前を親しみをこめて呼ぶ)と一緒にチャイを売ったり話をしたりしていた頃のことを思い出します。

貧しい家庭の出身から首相になるとは思っていませんでした。しかし彼は自力でやってみせたのです」

当時のエピソードや暮らしぶりとともに、もうひとつ聞きたいことがありました。

若くしてヒンドゥー至上主義団体である「RSS=民族奉仕団」に入っていたことでも知られるモディ氏が少年時代にどのような信念を持っていたかでした。

デサイさんは、モディ氏は学校の図書館で政治や宗教関係の本をほかのジャンルの本よりも多く読んでいたと証言しました。

そして、この学校を出たのちに州の中心都市アーメダバードにあるRSSの事務所で指導者と出会い、政治などを学んだということです。

デサイさん
「子どものころから彼はRSSの活動に参加していました。ただ、その前からヒンドゥー教への信仰心を持っていましたし、愛国者でもありました。もともと愛国心は強くて、国のために働くことを目標にしていました。愛国心RSSとの出会いによりますます強くなりました」

グジャラート・モデル”訴え インドのトップに

モディ氏は20代前半にRSSの活動に専従するようになり、本格的に政治の道に足を踏み入れたのは1980年代です。30代のときにいまの政権与党・インド人民党に入党しました。

その後、党内で頭角を現すと、2001年には出身地であるグジャラート州の州首相に就任。

在任中、▼電力改革や港湾・道路などのインフラ整備を進めたほか、▼みずから企業に働きかけたり州主催の大規模な投資イベントを開いたりするなどして国内外の企業を積極的に誘致しました。

日系の自動車メーカーの工場(グジャラート州

当時「インドで唯一、停電のない州」とも呼ばれ、高い経済成長をもたらしました。

2014年に行われた総選挙では「グジャラート・モデル」をインド全体に広げることを訴えてインド人民党を圧勝に導き首相の座に上り詰めると、2019年の総選挙でも再び圧勝しました。

“モディ氏を最もよく知る日本人”

モディ氏は首相としてどのようにして数々の政策を推し進めてきたのか。

その働きぶりを間近で見てきた日本人が首都ニューデリーにいると知り、訪ねました。

話を聞いたのは「モディ氏を最もよく知る日本人」と言われることもある豊福健一朗さんです。現在はインドに拠点を置く日系の自動車メーカーで取締役を務めています。

豊福健一朗さん
モディ氏がグジャラート州首相だった2007年、豊福さんは日本大使館の一等書記官として日系の自動車メーカーと州政府との窓口となり、初めてモディ氏に出会いました。

モディ氏の第一印象は「実務の人」。

豊福さんに会うなりすぐに具体的な仕事の話を切り出したといいます。

豊福さん
「私はほかの州政府ともこれまで仕事をしてきましたが、州首相とすぐに具体的で実務的な話をするというのは初めての経験でした。

『日本の自動車メーカーが輸出をしたいのであればグジャラート州に工場を誘致してほしい』といったやりとりを直接させてもらいました。ほかの州首相と比べても圧倒的に実務を自分でこなしていると感じました」

州首相として 日本企業と覚書を交わすモディ氏(グジャラート州の投資促進イベント 2011年)

モディ氏の目に映る日本とは?

2014年にモディ氏が63歳で首相に就任すると、モディ氏はインド政府内に「ジャパン・プラス」という日印のビジネスを促進する窓口の設置を発表。

豊福さんはこれまでのモディ氏とのつながりを買われ、窓口の責任者としてインド政府に出向しました。日本人としては異例のことでした。

モディ氏がグジャラート州首相だったころから日本に特別な思いを持っていたことが背景にあり、特に注目していたのは日本の「規律」だったと言います。

豊福さん
「モディさんが州首相のとき、一緒に仕事をした3年間で20社の日本企業が工場をグジャラート州につくりました。モディさんは日本企業は時間を守る、整理整頓が行き届いている、決められたことをしっかりやる、といったことに感心し、この規律文化をインドでも広めたいという考えを持っていました。

そして、それをインド人の従業員の各家庭にも持ち帰って広げてほしいと話していました」
モディ氏はみずから「決まった時間に寝起きし、3時間半から4時間の睡眠時間以外は1日中働いている」と話すなど、ストイックで規律を重んじることで知られています。

花輪をかけられるモディ氏(2024年6月4日)

だからこそ「規律」ということばが響いたのかもしれない。そう思いながら豊福さんに現在のモディ氏が日本をどのように見ているのか聞きました。

豊福さん
「インドが抱える課題の中でもモディさんが最も関心を抱いているのは農村がどうやって経済成長をしていくのかです。

これからインドで製造業を振興して雇用を増やすために高い技術で高品質な製品を作っていく土壌が必要だと考えているのです。そのために日本企業に工場を作ってもらって、インドの製造力を向上させようとしています」

貧しい家庭の出身で首相に上り詰めたモディ氏を間近で見てきた豊福さんは、モディ氏をある日本の著名人になぞらえて語ってくれました。

豊福さん
「農村の出身で首相まで上り詰めたということや、政策の実施能力の高さが日本の田中角栄さんに通ずるところがあると感じています。

モディさんの政治信念にはブレがなく、経済成長したいと思っているインドの農村の方々のために自分が働くんだという一貫した考えは変わっていないと思います」

田中角栄元首相

モディ政権10年の課題 今後は?

盤石に見えるモディ政権ですが、足元では多くの課題を抱えています。

著しい経済成長を続けるかげで、その恩恵を受けられない人たちもいます。ILO=国際労働機関の報告書によりますと、2022年の大卒者の失業率は29%にのぼり、若者の失業が深刻化しています。

また、人口の6割以上が暮らす農村部では、かんがいや物流などのインフラが行き渡っておらず、農家の生産性の低さが課題となっていて、貧困から抜け出せずにいます。

総選挙の前には所得の向上を訴える農家による抗議デモが各地で起き、2月には首都ニューデリー近郊にデモ隊が押し寄せる事態となりました。

農家による抗議デモ(ニューデリー近郊 2024年2月)

与党が大きく議席を減らすことになった今回の総選挙。

意外だったのは、与党がこれまで大票田としていた「ヒンディーベルト」と呼ばれるヒンディー語主体の州でも大幅に議席を減らしたことです。

「モディ政権が経済格差を拡大させた」という野党連合の批判が経済発展に取り残された人たちに支持されたと見られます。

インドはどこへ

わたしたち取材班は1か月半にわたってインド各地で“世界最大”の総選挙を取材しました。

大規模な集会やパレードなどにモディ氏が姿を現すと、熱狂的な支持者が「モディ、モディ」と繰り返し名前を叫ぶなど、各地でその圧倒的な人気を肌で感じました。
一方、そのかげで生活が苦しいと訴える失業者やヒンドゥー至上主義の高まりを懸念する少数派のイスラム教徒の声も聞こえてきました。

「すべての人に寛容で多様性を尊重する国であってほしい」

今回、初めて選挙権を得て投票したというキリスト教徒の18歳の女性は私たちのインタビューにこう訴えていました。

インタビューに答えた18歳の女性(右)
人口14億を超え、多様な民族、言語、宗教を抱えるインド。

“台頭する新大国”は総選挙をへてどこに向かっていくのか。わたしたちは今後とも注視していく必要がありそうです。

(6月4日 クローズアップ現代で放送)

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