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私がアメリリカに留学したのは、1968年。固定為替の時代で、1ドルが360円だった。
「いまは円安といっても1ドル160円台だから、60年代よりはまだまだ円高だ」という人がいるかもしれない。しかし、円の購買力で考えれば、その当時とあまり変わらないのだ。

では、60年代における日本からアメリカへの留学生は、どんな生活だったか? その当時勤務していた大蔵省での私の初任給は、月18000円程度だった。その後増えて、留学した時点では、月23000円程度になっていた。

ところが、留学先であるカリフォルニア大学ロサンジェルス校の周辺で、最も安いアパートの賃料が、月額100ドルだった。円に換算すれば36000円で、月給の1.56倍。
Studioという一部屋のアパートだったが、かなり広かったし、シャワーがあった。台所は隣部屋と共同利用だが、熱湯が出た。シャワーさえあれば台所で湯が出なくてもいいと思ったのだが(そのころの日本では、湯が出ない家庭が普通だった)、そのようなアパートはなかった。そして冷暖房完備(日本では、一般の住宅に冷房は普及していなかった)。

学費は奨学金でカバーできたが、食費などの生活費がかかる。私は日本では、初めて買った車を通勤に使っていたが、アメリカではとても買えない。ロサンジェルスに住んで車を持っていないとは、通学とダウンタウンに時々出かける以外には、バスを乗り継いで大変な苦労をしないとどこにも行けないことを意味する。

ダウンタウンの商店には、眼もくらむような豪華な商品が並んでいた。

#野口悠紀雄(留学)

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 雅子さまカローラIIを購入されたのは、外務省入省後、英オックスフォード大学への留学から帰国された後の1990年だ。価格は当時約140万円だった。

「外務省の駐車場でカローラIIから降り、ベージュのトレンチコートの裾をなびかせながらオフィスへ入っていく雅子さまは、当時はまだ少なかったキャリアウーマンを絵に描いたようなお姿でした」(ベテラン皇室関係者)

野村 小2ぐらいで、ハワイ旅行に行ってるんですけど、ドルが360円ぐらいの時代でしょう。しかも、わざわざ学校を休ませてまで行ったんですよ。

 あと、トヨタのクラウンが2台あったりね。なかなか、クラウンみたいな高級車が2台ある家はなかったんでね。そういうところで「うちって、ちょっと違うのかな」とは。

 中学まではそんな暮らしぶりだったけど、高校1年の何学期だったか忘れたけど、親父の会社が倒産しちゃって。

――そういえば、オーディションの賞金500万円と100万円は振り込みですか、手渡しですか?

野村 振り込みで。結局、撮影の途中に振り込まれてましたね。妹はもらった100万で、学校の入学金とか払っていて、「しっかりしてるなあ」って。僕なんて、すぐさま車を買っちゃいましたから(笑)。ホンダのプレリュード。一番いいクラスを買って……300万ぐらいしたのかな。あとは服をちょこちょこ買って、残りは貯金して。

野村 圧倒的にテレビが強かったですね。また、そういうのに出ることでコマーシャルの仕事も来るし。1本やったら契約金が、3000万とか5000万ですから。役者も事務所も、そっちに行かざるをえないですよ。

 僕も「お金入ってくるしなあ」と思ってましたし。

――20代後半で最高月収6000万円あったとか。月収15万円から月収6000万円って、すごいですよね。

野村 けど、いろんな人に合計で1億ぐらい貸して、すべて踏み倒されちゃいましたからね。