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日本の伝統芸能 歌舞伎入門(5)「歌舞伎と舞踊、そして俳句」

坂東三津五郎
たぶん、踊りを踊っている踊り手でお客様に理解してもらいたいと思ってる踊り手は一人もいないと思います。なのに皆さん、観る側は理解しようと思って、ここにこのやる側と観る側の大きな隔たりがあるんですね。


黛まどか
ついね、やっぱりね、理解してしまおうと思いますけれども。そうじゃなくて、感じとるとか、味わうとか・・・


坂東三津五郎
そう、そっちが大事なんですね。それが今、一番ちょっとこう苦手になっちゃって、忘れちゃってる、日本人が。


黛まどか
どうしてもそうなんでしょうね。俳句もそうなんですけれどね。やっぱり言葉が少ない分余白がありますよね。そこに読み手が、何かを感じて味わって受け取ってくれないと、俳句ってのは成立しないんですよね。説明できませんから。全部説明しきれないですからね。何となく日舞もそういうところがあるんでしょうかね。
まあ、日本人の色んな意味では、最後にこうそっと相手にわからせる部分は委ねる、みたいな。それを感じ取って下さいっていう。それが演じる側と受け止める側の一つのコミュニケーション、やりとりでもあるわけですよね。


高橋美鈴
受け取る側も想像力を開放して・・・


坂東三津五郎
それが実は楽しかったところだと思います。ただ全部受け身というんじゃなくてね。

坂東三津五郎
そうですね、歌舞伎のみならず、やっぱりそのう、舞踊でも、昔の作者さんていうのは教養があったんだなと思いますね。そういうこう季語ですとか、詩の心、昔の文献とか、そういうことをちゃんとこの読み込んであるんですねえ。ええ、ですから、俳句をやってから、「あ、この歌詞はこういう意味だ」ってもう凄くよくわかるようになりました。


黛まどか
そういうこう美意識を、今でもやっぱり、言葉とか歌舞伎とかそういうね伝統の世界が背負っているんですよね。で、また次の世代に渡していくという。

黛まどか
そうですねえ、あのう、今回いろいろお話をしていて、たくさん出てきた言葉があるんですね。例えば、「余白」もそうですし、それから「呼吸」ですとか、「気配」、「匂い」、「漂う」。そういう言葉が幾たびも出てきたと思うんですけれども、それはやっぱり、「察する」とかね、「余白を紡ぐ」とか、「想像する」とか、そういうことなんですよね。それはもう日本人独特の、あの、美意識といいますか、多くを言わずして感じとっていく、漂わせる、匂わせる。それを察して受け取っていく。何か、俳句もまさにそうなんですけれども、そういうことが出来る楽しさっていうんでしょうか、何かその役者さんたちと一緒にに作り上げていく楽しさというのを、あのう、毎回回を通して知りましたし、それからまあ伝統を守るっていうことを今すごく言われてますけれども、伝統を守るのは演じ手さんだけ作り手さんだけではなくて、こちら鑑賞する側もまたその伝統を作ることに参加してるんだんなっていうことを今回改めて感じました。

坂東三津五郎
そうですね、あのう、あまり難しいこと考えずに観にきていただければそれでもう、いきなり全部を理解するのは無理ですし、先ほど言いましたように、理解するよりも観て楽しんで、一番早いのはどなたか好きな役者さんを見つけて、その人を応援していくうちに段々全体が見えてくる。


高橋美鈴
素直な気持ちで五感を開放して、ですよね。