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『憲法学Ⅰ憲法総論』
P113

 立憲主義は、前述したように、国家は警察的機能以外には国民生活の領域に介入すべきではないという、基本的に消極的な権力の観念を前提としている。しかし、その本来の目的は、権利・自由の保障にあるのだから、その目的を社会・経済の発展と変革に伴って新しく生かすために、立憲主義が、国民の政治過程へのより広範な参加によって権力を民主化し、さらに、その権力を通じて国民の自由と生存を確保していくという、積極的性格をもつようになることは、いわば当然とも言える。

P121

高柳賢三が、「法の支配」は「静的なあるものとしてではなく、動的なすがたにおいてとらえる」必要があることをいみじくも指摘して、国家のあり方は一九世紀から二〇世紀にかけて大きく変わったが、「これによって法の支配そのもののフィロソフィーが変化したわけではない」とし、次のようなに述べたのも同じ趣旨である。「マルキシズムの立場から、法の支配は結局資本主義に伴う法思想にすぎないと説く者もあるが、これは法支配ということを一九世紀の姿で固定的なあるものと考えた結果であろう。法支配の原理は封建社会にも、資本主義社会にも、また社会主義社会にも存在しうべき動的な原理である。法の支配の原理を基調とした福祉国家の建設こそが、現段階においてわが国の進むべき正しい針路であるように思う」。

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