私が感じてきたのは、いかなる先入観も持たずに局面に立ち向うところだ。それが群を抜く指し手の柔軟さにつながっている。
羽生は徹底した“網羅主義”である。いかなる可能性も排除しない。
羽生はプロの眼とアマの眼の2つを持っている。右のアマの眼による着眼を、左のプロの眼が検証する。
羽生は小学生の将棋からも、縁台将棋からも学ぶことができる人だ。だから、並みのプロが切り捨ててしまう可能性も、平等に扱い、丹念に読んで絶妙手を発見する。
「柔軟さ」=我々のいうところの「自在性」。
分別智(将棋なら定跡や過去のデータに基づいて頭で考えて指すこと)では未だし、ということ。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080611#1213166688