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ジェラルド・カーティス氏が読み解く“自民党政治”の崩壊(上)
ジェラルド・カーティス氏が読み解く“自民党政治”の崩壊(下)

 私が子供の頃、アメリカの大都市では、たいてい同じ民族がまとまって暮らしていた。イタリア系、アイルランド系、アフリカ系のアメリカ人が独自のコミュニティーと教会をつくる。東欧系のユダヤ人も、同質的な社会に住み、シナゴーグユダヤ教礼拝所)で祈りを捧げていた。移民一世を中心に形成された都市部のコミュニティーは、日本の農村と同じような共同体意識の強い社会だったのである。

 しかし、アメリカ経済が発展し、価値観が変わるにつれ、地元を離れる人や、外部からの人口流入が増え、共同体としてのコミュニティーのまとまりは薄れていった。有権者民主党のマシーン政治に恩義を感じなくなり、地元の政治ボスは次第に票を集められなくなった。ボス政治への批判も高まり、民主党内部の改革が進んだ結果、1960年代半ばにはマシーン政治は事実上崩壊した。

 半世紀後の日本でも似たようなことが起きている。村落の共同体は、急速に弱くなった。子供は大きくなると、村を出て行く。テレビの地震報道を見ていつも衝撃を受けるのは、農村部で倒壊した家屋に住んでいるのが、ほとんどが高齢者だという現実だ。

平成の大合併」と呼ばれる明治期以来の大規模な市町村合併は、効率化と行政コストの削減につながるだろうが、多くの町村議会が廃止されたことで、地元選出の議員が減り、代議士候補の票をまとめる地方議員も減った。そして、有権者と地元議員の距離も遠のいた。

行政の効率化ばかりに目を奪われていると、草の根民主主義の衰退を招くことにならないか、考えてみる必要がある。

 公職選挙法は、海外では考えられない非民主的な選挙運動規制を定めている。

 しかし、もともとの動機がどうであれ、そうした規制が温存されているのは、新人から名前や顔を売る機会を奪えば選挙で有利になると考える現職議員と、今だに保護者のような立場で「未熟な」有権者を見下し、過剰規制が生む特権にしがみついている総務省の役人が、手を組んで規制を守っているからである。

 小選挙区制の導入で党内競争がなくなると、実力だけでなく、政治家としての志さえないことも多い二世議員議席を守るようになった。アメリカをはじめ、ほかの国にも世襲議員はいるが、日本が特殊なのは、自分の意思ではなく、親の意思で政界に入った二世があまりにも多いことだ。日本は政治に情熱のない政治家が多すぎる。

代議士の誕生 (日経BPクラシックス)

代議士の誕生 (日経BPクラシックス)