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【平野貞夫の国づくり人づくり政治講座】第62号 2010年5月7日発行

一、日米安全保障条約は、わが国の安全保障を確保するという国の根幹にかかるものであるという共通の認識に立ち、政府が同条約上の義務の履行に最終的責任を負う。
二、在沖縄米軍基地問題は、日米の関係を円滑にし、きずなを強化するとともに、沖縄県民の負担を全国民が担うという考え方に基づいて解決すべきである。
三、沖縄の基地の使用に係る問題は、県民の意思を生かしながら、基地の整理・縮小・移転等を含め、国が最終的に責任を負う仕組みを誠意をもって整備するものとする。

いまから13年以前の与野党合意である。

普天間基地縮小・移転問題の原点は、この合意文書である。平成18年に日米政府間で合意された前政権の辺野古V字型案は、この合意の流れでつくられたものであった。

しかしその内容は合意文書に著しく反するものであった。その理由は、平成9年の合意文書は「沖縄県外」を前提としていたからだ。

自民党政権がこの合意を守らなかったことに、混迷の根本原因がある。その理由はゼネコンが絡んだ、自民党の派閥間の利権争い。さらに沖縄県内にある米軍基地依存症候群である。具体的にいえば、小渕内閣で沖縄サミットを決め、森内閣で平成12年実施することになるが、沖縄は世界的に注目され、それなりの経済的メリットがあった。


その流れの中で、平成18年に辺野古V字案が固まる。沖縄をめぐるさまざまな利権抗争があったことは、説明を要しないだろう。米ソ冷戦が終わって20年近く過ぎ、米中関係も正常化し、北朝鮮の動きが正常化と不安さを残すようになった東アジアの状況変化の中で、沖縄の米軍基地のあり方の本質を見失っていく。日米の安全保障の専門家(安保マフィアー)、自民党派閥抗争らが暗躍する中で、つくられた県内辺野古案であった。