地検特捜部は、権力犯罪を暴く「最強の捜査機関」と言われてきた。しかし、大阪地検特捜部の証拠品改ざん事件は、看板とはかけ離れたお粗末な捜査現場の実態をさらけ出した。検事の暴走を招いた最大の要因は、強大な権限を持ち、なおかつ批判にさらされることがない「特権意識」だったと思う。同時に、検察と密接に接触しながらチェックが不十分だったメディアの姿勢も、ゆがんだ体質を助長したと自戒している。
6月15日、大阪高検の中尾巧・前検事長が退官のあいさつに毎日新聞大阪本社を訪れた。そのころ、大阪地裁では厚生労働省元局長、村木厚子さん(54)を郵便不正事件の被告とする公判が進行中で、検察が証拠請求した関係者の重要な供述調書が採用されず、検察は窮地に追い込まれていた。毎日新聞を含む各紙は「無罪の公算大」との論調で記事を掲載していた。
公判で検事の強引な取り調べや、ずさんな裏付け捜査が指摘されていることへの反省や釈明はなく、中尾氏は「残った証拠でも裁判官は有罪判決を書けますよ。有罪だったらマスコミはどうするつもりですか」と強気だった。
私も大阪地検を担当したことがあるが、通常、逮捕された容疑者を直接取材できない中、日々情報を得るのに必死で、特捜部の捜査をチェックするどころではなかった。検察が望まない記事を書くと、庁舎への「出入り禁止」を言い渡され、逮捕や起訴の際の会見にも出席できなかった。
取材を締め付け、そこからはみ出すと制裁を科す。この手法によって、検察はメディアに対して圧倒的な優位性を確保し、批判を封じ込めてきた。事件報道で検察からの情報に依存せざるを得ないメディアは、検察の戦略に乗せられてきた。かつて大物政治家も似たような取材対応をしたといわれている。権力者の常とう手段なのだろう。