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【解答乱麻】バッカーズ寺子屋塾長・木村貴志 今も色あせぬ「大学」の至言

 バッカーズ寺子屋では『大学』の素読を行う。「修己治人」の学を修めることが次世代を担う人材にとって大切だと思うからだ。

近代までの日本において先人たちが学んだことの中心は、この『大学』をはじめとする四書五経であった。

『大学』の冒頭には、「大学の道は明徳を明らかにするにあり」と書かれている。『大学』を学ぶ意義は、「一人一人が天から授かった素晴らしさ(徳)を明らかにし、その力で自然と人々を感化し、世の中を治めるため」というのである。つまり、学問の目的は、今日の如く偏差値をあげることや受験に勝って進学や就職を有利にするためのものではなく、「立派な人間になるため」のものであったのだ。この学ぶ目的の違いは実に大きい。

 『大学』に流れている考え方の柱の一つは、「修身・斉家・治国・平天下」である。つまり、まずは自分自身が立派な人間になり、その徳を以(もっ)て人々を感化し、素晴らしき世の中を作ろうというのである。他人のことをあれこれとあげつらうことの多い昨今、まずは自身の身を修めることが大切だと説く『大学』の考えは尊ぶにふさわしい。

 今日、『大学』を読み進めているとわが国の世相に照らし、はっとさせられる箇所が幾つもある。「不善(ふぜん)を見(み)て退(しりぞ)くる能(あた)わず、退けて遠(とお)ざくる能わざるは過(あやま)ちなり」(不善なる人がいてもやめさせることができず、やめさせたとしても完全にその関係を絶つところまで遠ざけられないのであれば、それは為政者の過失である)「財(ざい)を生(しょう)ずるに大道(たいどう)有(あ)り。之(これ)を生ずる者(もの)衆(おお)く、之を食(しょく)する者寡(すくな)し。之を為(つく)る者疾(と)く、之を用(もち)うる者舒(ゆるや)かなれば、則(すなわ)ち財恒(つね)に足(た)る」(人道の根本である徳を尊び、その結果として財を生み出し、かつ財用(支出)を節すれば、財政困難になるということはあり得ない)「其(そ)の聚斂(しゅうれん)の臣(しん)有らんよりは寧(むし)ろ盗(とう)臣有れと」(税金を国民からむしり取るような家臣を召し抱えるより、盗人を家臣として召し抱えた方がまだましだ。後者は自分自身の財産を失うだけで済むが、前者は国家に大きな損失をもたらすからだ)「小人(しょうじん)をして国家(こっか)を為(おさ)め使(し)むれば●害(さいがい)竝(なら)び至(いた)る」(もし小人を信任して国家の政治を任せるなら、災(天災)と害(人災)とが手を携えてやってくる)

 今更ながらもっと真摯(しんし)に学んでおけばよかったと臍(ほぞ)を噛むような警句の何と多いことか。

かつての日本では、こうした教えをリーダーのみならず、一人一人が人間の素養として少なからず持っていたのではなかろうか。だからこそ今よりは有徳の国たり得ていたのではないか。

これらを素読という方法によって幼きころより心の奥底に染み込ませるように教えていた先人の叡智(えいち)に改めて学びたいと思う。

 結局、利に敏(さと)いだけのリーダーの下では組織は誤った方向に進み、いずれは崩壊の憂き目を見る。『大学』の素読を通じて、人徳と胆力の備わった人材育成の種蒔(たねま)きが少しでもできるよう教育実践に励みたい。