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『王陽明「伝習録」を読む』
P165

 そもそも主体と理法とを分裂させたのは、義理は後天的に獲得するものとした告子の主張であり、孟子がてきびしく論難したものです。これでは後天的学習を務めて本来性の発揮をなおざりにし、該博なばかりで焦点が定まらないということを、あなたはとうにご存知のはずなのに、どうしてまたこんなことをおっしゃるのですか。(小生が)これを対象に溺れて目的意識を喪失したものと論評したことを、これでもなお、そうではないと否定されますか。小生の主張する致知格物論とは、われわれ主体者の良知をあらゆる主客関係に発揮するということです。われわれ主体者の良知こそがいわゆる天理なのです。われわれ主体者の良知を天理としてあらゆる主客関係に発揮すると、あらゆる主客関係はすべて理法にかなうことになります。われわれ主体者の良知を発揮することが致知です。あらゆる主客関係がすべて理法にかなうことが「格物」です。これでこそ主体と理法を結合させて分裂させないのです。主体と理法を結合させて分裂させないということであれば、小生が先に述べたこと及び朱子晩年の主張は、すべて、ことさらに説明しなくてもご理解いただけますでしょう。

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