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『新編 経世瑣言』
P142

 自信のない者が自己の思想信条の貧困を偽り飾るために、意識的無意識的に国家、皇室、神、戦などに籍口する傾きの強いことなどその例である。

P143

 まず自ら問え、われらの生活に純真な感激があったかと。この世界史的大転換期にあたって、限りなく上天の語り、人間の訴えるただ中に、われらの心胸はせめてどれだけの受信力でももちえたか。続発する意想外の出来事とその成行き、蝟集する身辺雑事のために、思慮も圧倒され、身体も束縛されて、心ならずもその日その日を逐われ逐われて暮らしてきたのではあるまいか。みな多忙であるが、それも感激の躍動にあらずして、困迷の狂躁にすぎぬ多忙ではなかったか。狂人走れば不狂人もまた走る。われもその仲間ではなかったか。
 天下国家を口にしつつ、実は激変する時世に没落しまいとして、或いは風雲に乗じて快を取ろう、いわゆる功名富貴、手に唾して取るべしというような投機的利己心から、無知の良民をみだしたようなことはなかったか。
 遠望深慮を誤って、観念の遊戯に耽り、書生論をほしいままにし、奇手妙策のつもりで、自縄自縛に陥っているようなことはなかったか。
 自己の内面的貧困を偽り、衆人の前に空威張りせんとして、あらゆる神聖なるものを舁ぎ廻る山法師的所業はなかったか。平たくいえば、身のほども知らず、場所柄もわきまえず、もったいないことをしでかしているようなことはなかったか。
 自分はさしたる才芸もなく、心より世をも人をも思うことなく、これはという奉公も出来ぬ身でありながら、いたずらに世を呪い、人を怨み、不平を吐いて自ら喜ぶようなことはなかったか。考えれば神に―良心に―恥ずべきことは世に充満していよう。