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平静の心―オスラー博士講演集

平静の心―オスラー博士講演集

インタビュー 日野原 重明 氏<その1>「60歳から“自分の人生”が始まる」 - 日経BP セカンドステージ

インタビュー 日野原 重明 氏<その2>「15の“よい習慣”を実践して人生を満喫する」 - 日経BP セカンドステージ

―― 日野原さんの場合、目指すモデルは、「アメリカ近代臨床医学の父」とされるウイリアム・オスラー(1849〜1919)という医師だったわけですね。自ら講演集を翻訳したり伝記も出版されています


 「戦後間もないころ、元の聖路加国際病院本館にできた米国陸軍病院のメディカル・ライブラリーで見た医学雑誌や教科書で、オスラーの名が頻繁に出てきた。戦前当時の日本でこの偉大な医師を知っている人は少なかった。オスラーは僕の心の師。ありとあらゆる著作や資料を集めて読み、そして日本人に紹介しなければならないと思った」


―― 目指すモデルに向かって自らを充実させるには自らの健康も維持しなければならないと思いますが、普段、心がけていることは?


 「人生は習慣の積み重ね。私が実践している”よい習慣“をお教えしましょう」

特別講演 2「いのちの大切さのために医学はなにをしてきたか、その反省と将来」聖路加国際病院理事長 日野原重明先生

そこで私は、第 42 陸軍病院に行って院長に会って、 「私は聖路加で働いていたから、ここのメディカル・ライブラリーに出入りすることを許してほしい。ライブラリーでアメリカの文献を見たい」と言いました。
 そうしたら、その院長が「それではあなたにパスをあげる」と言ってパスをくれましたが、私はパスを持って診療所の仕事が済む午後になると、そのメディカル・ライブラリー に行ってアメリカのジャーナルや、あるいはテキストブックを見ていました。そうしたら、 William Osler がこう言ったというような文章があちこちに出てきたので、私は院長に「William Osler というのはどういう人ですか」と聞いたら、院長が言うには、私は戦争中、病院船に乗って Osler が書いた『平静の心』という医学生への講演集を、毎日夜になるとそれを読んでいた。それがあるから、それを見せてあげようと言って、私に見せてくれました。
 いろいろな文献で Osler が参照されているし、Osler のいろいろな論文を見ることはできますが、Osler が医学生に語った言葉の『平静の心』をなんとか欲しいと言ったら、その病院長はサインをして、「これを上げるから」と言われました。医学部を卒業するときに、リリーという製薬会社が卒業生みんなに寄付したそうです。「ドクター日野原にこれをあげます」と言ってサインしてくれました。
それを見たら、Osler は素晴らしいことを言っている。

その Osler の有名な言葉としてここに書かれている文章は「Medicine is an art based on Science」、 医学はサイエンスに基礎を置くアートである。医学はアートである。いったいこれはどういう意味かということを、皆さんにお教えしたいと思います。
 その次のパワーポイント(スライド 8)を見ていただくと、情報を集める。そして情報 を吟味して、そのインフォメーションで確固たる根拠のある情報を持って私たちはサイエ ンスを作りますが、サイエンスを患者に適用するときに、サイエンスではなくて、適用の技がアートであると Osler は言っている。

 音楽家がいろいろ演奏しますが、例えば一流の音大を出ている。ある人はピアノを専攻する。ある人は声楽を専攻する。あるいはバイオリンを専攻する。それを専攻した人は基礎的な理論をよく習って、ピアノを演奏する人はピアノ、バイオリンを演奏する人はバイオリン演奏の技、テクニックを練習する。この音大を出た優れた人が曲を弾くときに、その理論をちゃんと理解した上で演奏する。しかし、同じ曲を弾いても、この人が弾いた曲、 この人が弾いた曲によって、それを聴いている聴衆にとっては違う。
 ですから、私はこの人の音楽を聴きたいと思って聴きに来る。演奏されるものは共通で あっても、その人でないと皆さんの心に染み通るようにならないから、わざわざそこに聴きに来る。その演奏の技はアートですよ。パフォーマンスです。そのアートというのは、 聴衆の人の心にタッチする。
 音楽というのはそういうものですが、科学である医学もまた、科学はそこにあるけれども、科学を適用する技は科学ではない。これはタッチのしかたである。パフォーマンスである。音楽と全く同じであると皆さんに理解していただきたいと思います。

 サイエンスは肉体、physic を対象にします。アートというのは心や魂にタッチをするということです。タッチの対象が違います。サイエンスは disease を対象にしますが、ア ートは illness、病むということを対象にします。

古代は本当の医学は発達していないから、サイエンス としてはほとんどない。しかしながら、サイエンスがない古代でも、ちゃんとアートとしての医学はあって、患者にタッチする。あるいは分娩を何回もした経験のある女性が、助産婦のような働きをする。サイエンスはないけれどもアートの技が古代の医学を作ってい ました。
 それがだんだん近代的になると、古代は病む人が対象であったのが、疾患が対象になってきます。古代は癒しの技と言いましたが、近代は治療効果が問題になっている。古代は温かなケア、近代は冷たい治療になり、古代は quality of life、いのちの質を大切にしていたのが、サイエンスの時代においては延命が目的となる。とにかく 1 カ月でも1 週間でも長く生かすことが医学の勝利である。このように考えるようになります。
 そうならないで、科学は進歩していても、アートが残っているような状態にとどめるということが、私たちに必要ですが、次のパワーポイント(スライド 11)で、私はさらに皆さんに申し上げたい。私の尊敬するプラトンは次のように言っています。ソクラテスの 弟子のプラトンです。プラトンは紀元前 300 年ごろに「医師は言葉を使って行う職業である」と言っています。

第7回 失われた1年間 - ほぼ日刊イトイ新聞

それはね、音楽療法の理論と同じ方法です。
ぼくは日本音楽療法学会の会長なんですけれども、
ウツの人に、マーチはよくないの。
人の心を浮き浮きさせるような音楽はよくない。
もっと、マイナーで単調の、悲しい……。

音楽と同じように
こちらも、悲しさに同調する。
そのほうが、心を支えるという原理があるんです。
そういう理論がね。
だから、一緒に悲しんであげないといけない。
「元気だしなさいよ!」とかいうような
プラスな方向に持っていくのではなしに、
ほんとに一緒に痛みを感じてあげて……
そのタッチで、患者とぼくの心が通じるんです。

たとえば3か月療養している若者がいるとなると、
自分の二十歳ぐらいのころを思うんです。


ぼくは21歳のとき、医学部2年のときに、
結核で治療方法がなくて、
38℃の熱があって床につきっぱなしで、
8カ月トイレに行けなかった。
でも、そのときに、辛抱して詩を読んだり、
音楽を聞くことがとっても身にしみて感じられて、
病気のときに歌を詠んだりするというのは、
とっても感性が鋭敏にはたらくんです。


そういう経験があるから、
「何か好きなものとか、読みたまえよ。
 でも、君はまだトイレは行けるんだから、
 いいじゃないの。
 ぼくは8か月のそういう時期があって、
 そのあともほんとに困ったけれども、
 それだけに君のつらいのよくわかるよ。
 今度1週間後回診するから、
 そのときにあなた何か読んだものがあったら、
 これ読んだということをいってくれない?
 それ、ぼくも読みたい」
それで、肩をぐっと押して、
「じゃ、また来週来るよ」というと、
そうするとその青年は来週が待ち遠しい。

ぼくは、病む人に、未来を提供する。
1週間先には先生がまた入ってきて、
励ましてくれるんだなあ、というふうな未来を、
わたしは行動や言葉で残すように努力している。


そしてわたしが大学を1年間休学した頃、
同級生はすでに医局に入っていたわけです。
みんな秀才やなんかで、エリートなんです。
そうすると、医局に入るときには、
1年休学しているぼくがどんなに努力をしても、
1周前を走っているわけだから……
もう、抜けそうもない。
京都大学から東京に来るという動機はそうなんです。

もう1周目で倒れちゃったけれど、
「どんなに勉強してもそれは無理だ」じゃなくて、
「違ったところへ、
 白紙のところへ行った方がよい」
と思ったのね。


ただ、実は休んでいた1年があるからこそ、
患者にとっての「失われた時」という感覚が
よくわかるようになったわけで、
とてもよかったんです。あとで気づいたんだけど。


はじめは、1年は失なった時だと思っていた。
ところが、それがなければぼくは、
「患者学」を学ぶことができなかった。
医学は研究や教科書で勉強できるけど、
患者学はだれも教えてくれないもの。


1年おくれて、みんなより損をしているなあと思って、
「むだだった」と思っていたけれども、
後から見れば、病人を経験したことは、
医者としてはものすごく大切だった。


あれでよかったの。
あの方がよかったというか。

第8回 終わりに向けてのクレッシェンド- ほぼ日刊イトイ新聞

ぼくはね、入学式に言うんですよ。
「あんたたちは、ここでいい点を
 取るというのでなしに、低空式で
 60点さえ取れればだいじょうぶだから、
 なるべく学外のことをやりなさい」と。


もっと学外のことを勉強しなさい、
それがナースとしての人間形成に必要だ
ということを伝えたい。
ほかの教授の先生は、ぼくの言うことを聞いて
変に思うかもわからない。
成績はどうでもいいといっているんだからね。

つまり自分でやるという、
動機づけをしさえすれば、
押し出せばいいんです、先生は。
あんまり手をとって足をとってって
やるから、よくないんです。

ぼくは、だから、
ふつうの人の300歳ぐらいの経験をしてる。


というのは、主人にはいえないことを
奥さんがぼくに訴える、
お父さんにはいえないことを話しに青年が来る。
そういうことの聞き役になって、
私はいろんなことをやっているから、
ほんとに世の中における、「本当の生活」がわかる。

そうですよ。それで、1人の人が
それに耐えたというストーリーを、
すでにあったストーリーを、次の人に伝えると、
リアリティーがあるものだから、
「先生、わたしもできるんですねえ」
「できますよ」というだけで、支えられる。

出会いね。

だれかに出会う。

声というのは本当にすごい。
たとえば、ぼくが電話をかけた時に、
出た人が「日野原先生ですね」という場合がある。
ぼくも努力しようと思ってるんだけど。
電話がかかったら、
「花子さんですね」とでも言いたい。

人がいよいよ最後に亡くなるときにも、
目が見えなくても、物がいえなくても、
聞こえている場合が多いということを、
僕は体験しているの。


だから、亡くなる前に、お孫さんでも、
「おじいちゃん、天国に行ってね。
 花子も後から行きますね。
 わかったら手を握ってください」
と言うと、手を握ります。

人生の99%が悲劇でも、
最後、別れる時に、
生まれてきてよかったねえとか、
意味があったよというか。
“終わりよければすべてよし”
というシャイクスピアの言葉です。


で、年をとるというのは終わりだからね。
だから僕は終わりに向かっての
クレシェントが、人生なんだと言ってるんです。

『平静の心−オスラー博士講演集』(日野原重明訳・医学書院) : 畝源 The ブログ

 「沈黙は愚か者の知恵であると思うなかれ。時宜を得た沈黙は弱点ではなく。寡黙の美徳を持つ賢者の名誉となる。いたずらに言葉を弄してはならぬ。心より生まれし考えを熟慮して語るがよい。かくして沈黙は雄弁となり、言葉以上に汝の価値を語るものなり」(トマス・ブラウン卿)・・・「医師と看護婦」から

 「大学を大学たらしめるものは、過去現在を問わず、大学のみが満たすことができ、現に満たしている必要物の需要供給にあり、また知識の伝達、さらには教える者と教えられる者の関係および結びつきにある。真に大学を構成し活気づけるものは、ある種の人々が他の人々の上に及ぼす精神的な感化である。本来の意味においても、否、歴史的な観点から見ても、それは他のどの絆にも勝る。そのような感化力を欠く大学は、大学と言っても名のみで、公の機関あるいは個人的な後援者から受ける利点、地位、富がいかに大きいにせよ、まさに大学の本来の姿を見失っている。」(ジョン・ヘンリー・ニューマン)・・・・「教師と学生」から

 「物質面の目覚しい発展に伴い、国の生命の神髄を見失う危険が生ずる。国家の生命力の真の試金石となるものは、その国の知的・道徳的水準である。金万能主義という腐食作用を食い止めるためには、研究にいそしみ、欲望や虚栄などには眼もくれない、学問に専念する人々が社会に存在すること以上の解毒剤はないといえよう。」・・・・「教師と学生」から

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141226#1419590627
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141223#1419331290
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141222#1419244757
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141019#1413715158
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100109#1263007710