基本とはそれに基づいてものごとが成り立っているということですので、 その基本から外れた応用は理に反します。 ですから、正しくないものには、迷いや苦しみが生じてしまいます。
— 塩沼亮潤大阿闍梨 (@ryojun_shionuma) 2020年5月19日
【FM仙台 塩沼亮潤大阿闍梨「今朝の一言」は、radikoから聴いていただけます】https://t.co/AXfsVj3gvr
人間らしく生きる事とはどういうことかの話を置きざりにして、私達が生命を守るメソッドだけを発達させたことの弊害は、今回のコロナ騒ぎについても現れていると思う。胃ろうや人工透析、尊厳死を巡って提起された問題の根幹は、そのままコロナの時代の「新しい生活様式」ににつながっている。
— zaway (@zaway) May 19, 2020
被告人の精神状態が刑法39条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であって専ら裁判所にゆだねられるべき問題であることはもとより、その前提となる生物学的、心理学的要素についても、上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべき問題であり、専門家の提出した鑑定書に裁判所は拘束されない(最決昭和58年9月13日)。しかしながら、生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については、その診断が臨床精神医学の本分であることにかんがみれば、専門家たる精神科医の意見が鑑定等として証拠となっている場合には、鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり、鑑定の前提条件に問題があったりするなど、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、その意見を十分に尊重して認定すべきものである(最判平成20年4月25日)。
d1021.hatenadiary.jp
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日野原重明さんの次男の直明さん(69)は「ことしの3月に検査で入院した際に肺炎が見つかりましたが、本人の希望で自宅で療養していました。しばらくはトーストや目玉焼きなどを食べていましたが、10日ほど前からは流動食になりました。おとといまでは呼びかけに返事がありましたが、きのうからはかすかにうなずくくらいで反応が鈍くなり、きょう明け方、静かに眠るように息を引き取りました。延命措置は本人が望んでおらず、全く行いませんでした」と話しました。
古代は本当の医学は発達していないから、サイエンス としてはほとんどない。しかしながら、サイエンスがない古代でも、ちゃんとアートとしての医学はあって、患者にタッチする。あるいは分娩を何回もした経験のある女性が、助産婦のような働きをする。サイエンスはないけれどもアートの技が古代の医学を作ってい ました。
それがだんだん近代的になると、古代は病む人が対象であったのが、疾患が対象になってきます。古代は癒しの技と言いましたが、近代は治療効果が問題になっている。古代は温かなケア、近代は冷たい治療になり、古代は quality of life、いのちの質を大切にしていたのが、サイエンスの時代においては延命が目的となる。とにかく 1 カ月でも1 週間でも長く生かすことが医学の勝利である。このように考えるようになります。
そうならないで、科学は進歩していても、アートが残っているような状態にとどめるということが、私たちに必要ですが、次のパワーポイント(スライド 11)で、私はさらに皆さんに申し上げたい。私の尊敬するプラトンは次のように言っています。ソクラテスの 弟子のプラトンです。プラトンは紀元前 300 年ごろに「医師は言葉を使って行う職業である」と言っています。
全く同感ですが、現在はそうやって静かに最期を迎えることすら、法律違反に問われかねないのが、現状です。本人の意思を尊重して、このことを家族が守ろうとしたら、理解のある医師と、よほど親しい関係になっておかないと「自殺幇助」とさえされかねません。 https://t.co/N4j8MrCaIR
— 甲野善紀 (@shouseikan) May 19, 2020
お寺の修行というのは 日々同じことの繰り返しです。 なぜ 繰り返し同じことをするのかと言いますと、 同じことを繰り返し行じていると悟りにいたる可能性があると 昔から言われているからです
— 塩沼亮潤大阿闍梨 (@ryojun_shionuma) May 18, 2020
【radikoから聴いていただけます】https://t.co/ufXrjreSc6
明日になったら、その日は“今日”になる。 そこでまた“明日悲しまめ”とやればいい。 永遠に“明日”という日は来ないのだから。 https://t.co/Xf8dankoAR
— 中村天風 (@NakamuraTenpu) May 18, 2020
病は忘れることによって治る。 https://t.co/OmwzE4iSbI
— 中村天風 (@NakamuraTenpu) May 18, 2020
治ったことをうれしがるような人間だったら凡俗だ。悪いときにそれに負けなかったことをうれしがらなきゃいけないんだ。何でもないときにうれしがるのはあたりまえのことだ。 https://t.co/6YlDqrdLRm
— 中村天風 (@NakamuraTenpu) 2020年5月19日
令和2年司法試験論文憲法は
— 平 裕介 (@YusukeTaira) May 18, 2020
「憲法13条祭」かも…
過去問は平成28年司法試験です。出題趣旨が難解なことで知られる(当時の考査委員の西原博史先生が原案を書いたと予想)過去問ですが悪いことは言いません。必ず検討してください!
先端技術で監視強化/スーパーシティ法案 https://t.co/9DZ7Pdtrbb
令和2年司法試験考査委員の小山剛先生ほか編『日常のなかの〈自由と安全〉―生活安全をめぐる法・政策・実務』が2020年7月刊行ということですが、編集期間と試験問題作成期間が重なっているかなと…https://t.co/mswj7KFijA
— 平 裕介 (@YusukeTaira) May 18, 2020
2006年にも「自由と安全」に関する小山先生ほか編の書籍が出ていますね↓ pic.twitter.com/xlU1tZ3Ghy
私が知らないだけかもしれませんが、電子書籍の引用方法は今まで人文系のどの学会誌も書いていません。しかし、漫画や一般書籍だけでなく、岩波新書や中公新書などでもKindle版が普及しつつある現在、電子書籍からの引用方法を各学会誌は早急に進める必要があると思います。
— Shoichi Nishida (@sh1_nishida) 2020年5月16日
私も新人の頃は、同一事案なのに、弁護士の力量によって結論が変わるとしたらそらおかしいわな!と思っていました。しかしそれは、問題設定が同一であるという机上の前提条件のもとであり、生きた事案のもとでは、アプローチが全く異なり、弁護士の力量によりそもそもの問題設定すら違ってくるという。 https://t.co/TW6wY7p1zT
— 大井哲也 弁護士 (@tetsuyaoi2tmi) 2020年5月18日
ご紹介。控訴理由書について。門口正人・元名古屋高裁長官/
— shoya (@sho_ya) May 19, 2020
「最も主張したい中核部分を簡略に提示するくらいが程よいでしょう。特に認定非難に当たる場合は,原判決のどの部分についてどのような違背があるかを簡潔に述べたいものです。」https://t.co/AIbLaek9cj
この手の「裁判官の求める書面」って、ある意味では正しいと思うのですが、それで勝てるかどうかは別物だよなぁと思います。
— 伊藤 建(たける)@富山 (@itotakeru) May 19, 2020
「勝てもしないのにダラダラ長く書くな!めんどくせぇ!」と言いたいだけなのか、本当に勝てる書面は短いのか、そこがわからないとなんとも言えないのですよね。
弁論の生命はその論理性にある。しかし,それは説得のためのものであり,論理性だけで十分というものではない。論者の情熱とか説得する者として弁えるべき誠実さといった,理論には表れないものにも説得力を感じることがある。
最近は,パソコンを用いるせいか,総じて書面は長い。もとより長ければ説得力があるというものではない。長文の書面には深い推敲の跡がないと感ずることが少なくない。弁論となると,冗長なものは長い書面以上に始末に悪い。限られた時間内に,論点を的確に指摘した弁論を聞くと,書面とは違う深く染みいるものを感じるのであって,かつて自分が当事者席からした弁論がどう受け取られたか,と振り返ることがあるのである。
最近の若い弁護士は、大量の情報に飲み込まれて、物事を深く考えなくなったのではないかのように見えて仕方がない。今はパソコンのキーをぽんと叩いたら検索機能が働いて判例が出てくる。その判例を、担当する事件と関係なくても有利だと思うと、たやすく引用をしたり、大して推敲していないような杜撰な書面が多く見られる。
裁判は、裁判官を書面で説得するものだ。説得の材料としてこういう判例があるということを言うわけだが、あまり関係の薄い判例を持ってきても、その程度のことしか考えていないのかと、かえってマイナスにしかならない。
大手事務所でも、ひどい書面を書いているところはある。依頼者は弁護士の力を判断する力はないことから、事務所の規模の大きさだけで判断しがちだ。書面の量で判断することもあるのではないか。しかし、規模の大きい事務所は固定費も膨れがちになるので、それなりの報酬が必要になる。若いうちには報酬に見合わなくても難しい事件や新しい課題に取り組み、自分を磨く基本的な勉強をすべきだ。司法の健全な発展のためにも、組織的にトレーニングされる裁判官と違い、弁護士はそれぞれ努力が必要だ。
#滝井繁男
#勉強法
親指シフト。かなり前、身近な人()に伝道しようとしたところ、「名前が悪い」と言われました。ネーミングは大事ですね。
— 白石忠志 (@ShiraishiJP) May 19, 2020
めっちゃ久しぶりに大きい本屋さんへ行った。本を見てるだけで楽しかったし、ソーシャルディスタンスのおかげでレジ列が店内ぐるっと巡っててすごいことになってるんだけど、待ってる人みんなこれから買う本を読んでるから平和で良かった。
— 白木蓮 (@paku_ldv) May 19, 2020
引き続き「昔好きだった児童書を読み返す」ブーム中なんだけど、児童書、特に外国文学は気軽に手放さないほうがいいなとしみじみ思った…訳が変わっちゃうんだよねえ……
— 白木蓮 (@paku_ldv) May 19, 2020
新興系事務所にいた時、渉外の8割以上の勤務時間で、渉外の半分の報酬だった時があるんですが、ぶっ倒れそうな新人弁護士がいる中、コンサルが「休日に休む意味あるのですか?」と言ってきて、更に働かなされそうになったことがありましてね…
— リーチ一発ツモ裏1 (@luckymangan) May 19, 2020
(新人の一人が入院し、2人が退所したけど) https://t.co/b6OKRXVt2E
8割削減も霊感商法。「何もしなかったら42万人死ぬ」と脅して「8割削減したから700人になった」という詐欺師の論理だ。いまだにそれに気づく人が少ないのは不思議。
— 池田信夫 (@ikedanob) May 19, 2020
暴走するワイドショー。誰も止められないのか。 https://t.co/r0tHU2R0NB
— 篠田英朗 (@ShinodaHideaki) May 19, 2020