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被告人の精神状態が刑法39条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であって専ら裁判所にゆだねられるべき問題であることはもとより、その前提となる生物学的、心理学的要素についても、上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべき問題であり、専門家の提出した鑑定書に裁判所は拘束されない(最決昭和58年9月13日)。しかしながら、生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については、その診断が臨床精神医学の本分であることにかんがみれば、専門家たる精神科医の意見が鑑定等として証拠となっている場合には、鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり、鑑定の前提条件に問題があったりするなど、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、その意見を十分に尊重して認定すべきものである(最判平成20年4月25日)。

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日野原重明さんの次男の直明さん(69)は「ことしの3月に検査で入院した際に肺炎が見つかりましたが、本人の希望で自宅で療養していました。しばらくはトーストや目玉焼きなどを食べていましたが、10日ほど前からは流動食になりました。おとといまでは呼びかけに返事がありましたが、きのうからはかすかにうなずくくらいで反応が鈍くなり、きょう明け方、静かに眠るように息を引き取りました。延命措置は本人が望んでおらず、全く行いませんでした」と話しました。

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古代は本当の医学は発達していないから、サイエンス としてはほとんどない。しかしながら、サイエンスがない古代でも、ちゃんとアートとしての医学はあって、患者にタッチする。あるいは分娩を何回もした経験のある女性が、助産婦のような働きをする。サイエンスはないけれどもアートの技が古代の医学を作ってい ました。
 それがだんだん近代的になると、古代は病む人が対象であったのが、疾患が対象になってきます。古代は癒しの技と言いましたが、近代は治療効果が問題になっている。古代は温かなケア、近代は冷たい治療になり、古代は quality of life、いのちの質を大切にしていたのが、サイエンスの時代においては延命が目的となる。とにかく 1 カ月でも1 週間でも長く生かすことが医学の勝利である。このように考えるようになります。
 そうならないで、科学は進歩していても、アートが残っているような状態にとどめるということが、私たちに必要ですが、次のパワーポイント(スライド 11)で、私はさらに皆さんに申し上げたい。私の尊敬するプラトンは次のように言っています。ソクラテスの 弟子のプラトンです。プラトンは紀元前 300 年ごろに「医師は言葉を使って行う職業である」と言っています。

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弁論の生命はその論理性にある。しかし,それは説得のためのものであり,論理性だけで十分というものではない。論者の情熱とか説得する者として弁えるべき誠実さといった,理論には表れないものにも説得力を感じることがある。

 最近は,パソコンを用いるせいか,総じて書面は長い。もとより長ければ説得力があるというものではない。長文の書面には深い推敲の跡がないと感ずることが少なくない。弁論となると,冗長なものは長い書面以上に始末に悪い。限られた時間内に,論点を的確に指摘した弁論を聞くと,書面とは違う深く染みいるものを感じるのであって,かつて自分が当事者席からした弁論がどう受け取られたか,と振り返ることがあるのである。

最近の若い弁護士は、大量の情報に飲み込まれて、物事を深く考えなくなったのではないかのように見えて仕方がない。今はパソコンのキーをぽんと叩いたら検索機能が働いて判例が出てくる。その判例を、担当する事件と関係なくても有利だと思うと、たやすく引用をしたり、大して推敲していないような杜撰な書面が多く見られる。

 裁判は、裁判官を書面で説得するものだ。説得の材料としてこういう判例があるということを言うわけだが、あまり関係の薄い判例を持ってきても、その程度のことしか考えていないのかと、かえってマイナスにしかならない。

 大手事務所でも、ひどい書面を書いているところはある。依頼者は弁護士の力を判断する力はないことから、事務所の規模の大きさだけで判断しがちだ。書面の量で判断することもあるのではないか。しかし、規模の大きい事務所は固定費も膨れがちになるので、それなりの報酬が必要になる。若いうちには報酬に見合わなくても難しい事件や新しい課題に取り組み、自分を磨く基本的な勉強をすべきだ。司法の健全な発展のためにも、組織的にトレーニングされる裁判官と違い、弁護士はそれぞれ努力が必要だ。

#滝井繁男

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