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研究者になるまで - 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科

高校を辞めたころは、多くの青年がするように、ひとは楽しくもない人生を何のために生きるのかということをよく考えた。自分の人生の難問に取り組むことなくしては、実用的な学問を修めて世の中を渡っていくのは無意味だと思ったので、大学に行きたいと思い直したときから、人文的なことが学べる学部に行こうと心が決まっていた。計画どおりにならない人生だから、天の導きにまかせて学びたいと思うことを学ぶのがよいと思う。なおずっと後になって気づいたことだが、本をちゃんと読めるようになるには本の読み方を学ぶ必要があり、それを体にしみこむほど教えてくれた文学部の学問は、意外にも実用的であった。

サンスクリットの原初の姿を残すというヴェーダの演習に出始めた頃には、一語一語について研究史をたどり、太古のテキストから意味をくみとる作業の楽しさも知るようになっていた。

その後の研究人生は、一度はつまずいた言語学アメリカで勉強しなおして学位をとり、帰国して私立大学に英語教師の職を得てからは、業務の合間にインドに行って少数民族言語の調査を始めるようになり、テキストではなく人間、それも自分とはおよそ異なる世界や価値観をもつ人たちと向き合うようになる道のりだった。学生時代はやることなすこと失敗ばかりで、登りがたい絶壁を前にして立ちすくむように、たえず満たされない思いが胸にくすぶり続けていたが、漠然とでも「こういうことをしたい」と思い続けて、ことあるごとに出会った人々や知遇を得た先生方に話し、通らない応募書類を出し続けていたことがよかった。留学したいと思っているとアメリカから誘いの電話がかかってきたり、調査したいと思っているとその地域の専門家に出会って教えを受けるなど、少しずつ機会がめぐってきて実現していった。十年ほどかかって、パズルでも解くように、自分の研究人生がおのずと形をなしてきた過程であった。今でもインドの山奥で石ころだらけの斜面を耕して生きる人々に会っては、民話など言語資料の収集と分析を続けている。いわゆるフィールドワークだが、自分にとってはつまるところ「なぜ生きるのか」という高校時代からの問いへの答えを求める旅である。少数民族の人々のおかげで、硬い土地から硬い人間が生まれることを知り、貧しくともおよそ人の生きるところにはユーモアやペーソスや誇りや愛情があり、苦しい人生にも生きる喜びがあるのかも知れないと思えるようになった。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141230#1419935861
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130905#1378379673