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Rica le Persan

表現の自由」が侵害されたことへの憤りが被害者への哀悼と共に広く共有されているが、それ以外の言説を許さない嫌な空気もある。これまでシャルリ・エブドなど読んだこともない人が風刺画家を英雄化し始める。エルネスト・ルナンの講演『国民とは何か』にあるように、国難が国民という虚構を作る。

エルネスト・ルナン - Wikipedia

ルナンの『イエス伝』は、自然科学によって理論体系化不可能な要素は全てこれを迷信として排除するという聖書研究の世俗的伝統の端緒となった。

ルナンは「ネイション」の定義についての有名な言説で知られる。1882年にソルボンヌで行った "Qu'est-ce qu'une nation?"(国民とは何か?)という講演で示されたその内容は、かつてフィヒテが講演『ドイツ国民に告ぐ(ドイツ語版、英語版)』で示した「ネイション」とは異なるものであった。フィヒテの「ネイション」概念が、人種・エスニック集団・言語などといった、明確にある集団と他の集団を区分できるような基準に基づくのに対し、ルナンにとっての「ネイション」とは精神的原理であり、人々が過去において行い、今後も行う用意のある犠牲心によって構成された連帯心に求められるとする。

こうしたルナンの主張は、仏独ナショナリズムの比較として採り上げられることが多い。フィヒテの説く「ナショナリズム」が民族に基づくものであり、ルナンの主張は理念に基づくナショナリズムなどと理解するものである。しかし、ルナンの主張も普仏戦争で奪われたアルザス・ロレーヌ(フランス領になる以前にドイツ領だったため、住民使用言語はドイツ語に近い)が、フランスに帰属するものであるという彼個人の信念とも結びついている。王党派でもあり「諸君は王権神授説を信じなくても、王党派となることができるのだ」と述べている。

ルナンはフランスの植民地主義による侵略を、劣った人種を文明の域に引き上げる『文明の使命』として正当化し、普仏戦争の翌年である1871年に書いた『知的道徳的改革』において、優秀な西洋人種が黒人や中国人やアラブ人の「劣った人種」や「退化した人種」を征服し搾取するのは当然であると述べている。

Adam Takahashi

エルネスト・ルナンの一番最初期の仕事は『アヴェロエスアヴェロエス主義』(1852)で、その後に物議を醸した人間主義的なイエス・キリスト研究みたいなものを展開するのですよね。日本語版ウィキだと、アヴェロエスのことは触れられていないようですが・・・。

Quelconque

ルナンによる実証主義的キリスト伝とネイションの定義、普仏戦争敗北と第三共和国樹立、公教育におけるライシテとナショナルアイデンティティー。

Quelconque

そういった思想的土壌からポール・ヴァレリーのヨーロッパ観が生じてきたと考えたい。

紺野(石版!)

ボルヘスアヴェロエスを題材にした短編には、ルナンの名前がでてきますね

Adam Takahashi

たしかに、『エル・アレフ』のなかの「アヴェロエスの探求」のエピグラフに、ルナンの『アヴェロエス(とアヴェロエス主義)』からの引用(「悲劇とは賛美のすべにほかならぬと信じて」)が置かれてる。

Adam Takahashi

ボルヘスが、このアヴェロエスに捧げた短編で問題にしているのは(紺野さんに指摘されて読み返しているわけですが・・・)、アリストテレスの『詩学』における「悲劇」と「喜劇」というギリシア語が何を意味するのか、アレクサンドロスの注釈を読んでもアヴェロエスは分からないという話で、

Adam Takahashi

モチーフ的に『薔薇の名前』的な話でもあるのですよね。『エル・アレフ』が出版されたのは、1949年ですけれど。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150108#1420713484