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青年ヘーゲル派とマルクスとエンゲルス。 - 哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』

ヘーゲル没後、ヘーゲル学派は老ヘーゲル派、中央派、青年ヘーゲル派に分裂するが、分裂に原因になったのは宗教問題であった。シュトラウスの『イエスの生涯』である。

青年ヘーゲル派 - Wikipedia

カントとフィヒテの死後、19世紀前半のドイツでは次第に、その力強い論理性によって基礎付けられているヘーゲルの哲学が哲学研究において支配的であった。

ヘーゲル1831年に急逝した後も、哲学は受け継がれていった。 そのような中で、ヘーゲル学派の神学者 ダーフィト・シュトラウスが自身のヘーゲル研究を基に、1835年に「イエスの生涯」を著したことにより、直接的な分裂が始まった(注:それ以前から、学派内で食い違い・齟齬は存在していた)。

福音書の中の全歴史を史実して受け入れるべきであるとしたのが右派、部分的には受け入れられるとしたのが中央派、まったく受け入れるべきではないとしたのが左派 と、シュトラウスヘーゲル学派の区分を示した(当初シュトラウス自身は、左派は自分だけしかいないとしたが、これは極論であろう)。 また、当時右派に比べて、青年の学者が多かったので、青年ヘーゲル派とも呼ばれるようになった。

2. 19世紀以降の新約聖書学の概要

ダーフィト・シュトラウス - Wikipedia

現在国内においては『イエスの生涯』に対しての批判は、各種ヘーゲル関係の研究書のほか、ドイツの著名な哲学者のなかにはニーチェシュヴァイツァーなどの研究において見ることができる。

フリードリヒ・ニーチェ - Wikipedia

ニーチェはボン大学へ進んで、神学と古典文献学を学び始める。ニーチェは、大学在学中に、友人ドイッセンとともに「フランコニア」というブルシェンシャフト(学生運動団体)に加わって、高歌放吟に明け暮れる。そして、最初の学期を終える頃には、信仰を放棄して神学の勉強も止めたことを母に告げ、大喧嘩をしている(当時のドイツの田舎で、牧師の息子が信仰を放棄するというのは、スキャンダルでさえある。ましてや、夫を亡くした母にとっては、一家の一大事であった)。ニーチェのこの決断に大きな影響を及ぼしたのは、ダーヴィト・シュトラウスの著書『イエスの生涯』である。


また、ボン大学では、プラウトゥスの研究で有名な古典文献学の権威フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版)と出会い、師事する。

アルベルト・シュバイツァー - Wikipedia

21歳の時、「30歳までは芸術と科学を身に付けることに専念し、30歳からは世のために尽くす」と決意して、30歳から新たにストラスブール大学の医学部に学ぶ。これは、キリストが30歳から布教活動を始めたという故事に倣ったものであった。

思想家・音楽研究家としての著作に、『カントの宗教哲学』『バッハ』(いずれも日本語訳あり)がある。神学者としての著作の『イエス伝』は、イエス伝の研究史的見地から労作であり、現在においても評価が高い。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150211#1423650805


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141019#1413715167