2015-03-17 ■ 政治 歴史 哲学 政治 歴史 哲学 こたつ 村山談話を攻撃する常套句は「侵略の定義は定まっていない」というもの。 興味深いのは長谷川三千子みたいな右翼が、「言葉の定義が」みたいなポストモダン言説を主張していること。つまり言葉の定義を操作すれば現実/歴史は組み替えられるという概念操作。これは東浩紀の南京大虐殺についての「歴史の問題は解釈次第」のロジックと同一の地平なんだがね。