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» 私が起業家として目指すこと。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」) | IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所

では実際どうだったのかというと、実に「大変」であったし、今でも「大変」であることは事実だ。ただ、人生とは面白いものであり、必要な時に必要なことを教えて下さる先達が常にいるものなのである。

しかも私の場合、ある時からその様にして思い描いたイメージに向けて、何をすれば良いのか、何がハードルなのか、そのハードルはどれくらい細かくすれば己が乗り越えることが出来るようになるのか、について自然と計算するようになったのである。受験勉強が大きな契機であったように記憶している。つまり、チャンク(chunk、塊)をタスクブレイクし、かつこれをタイムラインに並べてこなしていくということは私にとって余りにも当たり前なのである。


ところが世間様では必ずしもそうではないらしい。娑婆に出て「起業」してから気付いたことなのであるが、この様にして思い描くことが全く出来ない人というのがかなりの数、存在するようなのである。

そうであるが故に「就業規則」「就業時間」などというもので縛られている一般の労働者の皆さんを見ると何かが違うのではと思ってしまうのである。無論、「ブラック企業たれ」と言っているわけでは毛頭ない。我が研究所は8時始業、16時30分終業と決めている。16時30分を過ぎたらば何を言わずとももちろん帰って良いのである。だが、仮に上述の意味での「その時」に向けた歩みとの関わりで自らの営みを位置づけているのだとすれば、そこにやらされ感も、疲労感もないのである。むしろ些細な事であれ「その時」に向けたサインなのではないかと鋭敏なセンスが日々研ぎ澄まされていくのが分かる人生なのだ。オーバーヒートしないように「整える」ことが肝心であるものの、ずっと仕事している。そういう人生を、私を含め、この想念を等しくする皆さんは送られているのである。


そしてもう一つ。「すぐやるか」それとも「やらないか」の違いがある。

私は日本人の同胞の中で「想念」を等しくしている人を除けば、華僑・華人ネットワークであれ、ユダヤ勢であれ、外国人とのコミュニケーションの方が得意である。なぜならば我が国を一歩抜け出すと、この二つの原則、すなわち「想念の一致」と「すぐやる」という大原則は余りにも自明の社会構成原理である、個人としての行動準則だからである。そのため海外の事業パートナーとの間で、仮に先方が早朝に電子メールをよこし、コメントを求めてきたりしても喜んで返してしまう自分がいるのだ。時に早朝からメール、あるいはチャットのラリーとなるが、それでも疲れなど一向に覚えないのである。


ところが、我が国の多くの人々との間ではどうかというと全く違う。不思議なことに「想念」が均しくない人が圧倒的多数なのである。多くの皆さんが「このまま何も起きずに世界史は続いていく」と根拠無しに思い込んでいる。「変わらない日常、変わらない日本と世界」がそこでいう想念である以上、「すぐにやる」ことなど全くもって不必要なのである。いや、もっと言えば有害だとしか言いようがない。だからこそ「すぐやらずに、結局やらない」という態度で終始することになる。何も起きず、何も始まらず、そしてただ漫然と日々が過ぎ去っていくだけとなるのだ。

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