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コトラーは企業と顧客の関係を根本から変えた|超ロジカル思考 発想トレーニング|ダイヤモンド・オンライン

コトラーは元々シカゴ大学で経済学を学び、その後MITに行き、経済学の博士課程を修了している。その時の審査で面接官になったのが、「近代経済学の父」と呼ばれたポール・サミュエルソンだった。


サミュエルソンノーベル経済学賞を受賞しており、経済学を「社会科学の女王」とまで呼ばれる地位に押し上げた人物だ。サミュエルソン自身がハーバード大学で経済学博士を取った時の話だ。審査委員の3人の高名な教授が、面接終了後に顔を見合わせて、「自分たちはサミュエルソンから合格点をもらえたのだろうか」と言ったそうだ。


 こうした達人サミュエルソンが、コトラーに対して面接の場で次のような質問を投げかけた。


マルクスの労働価値説についてどう思うか?」

 これに対して、もうひとりの達人であるコトラーは次のように返した。


「価値は消費体験の中で認識される」


 労働価値説とは、モノの価値の本質は、それを生産するために投入された労働に起因するという考え方だ。サミュエルソンは、モノの価値がどのように生まれるのかをテーマに問いを投げたのに対して、コトラーはモノの価値がいかに認識されるかについて答えた。


 何となく禅問答のように聞こえる。つまり、価値が生まれる過程だけを見ていては不十分で、価値が認識される過程をも視野に入れることで、はじめて全体像を捉えることができるということだ。このモノの見方は、実はサミュエルソン自身が近代経済学を確立した考え方と一致すると同時に、サミュエルソンの数学的手法の限界にも言及するものであった。これがその後、コトラーマーケティング理論の基本的な視点となっていく。

コトラーは過去に少なくとも2度、マーケティングにおけるモノの見方を大きく転換している。最初は米国経済が成長期から成熟期に転じた1970年代であり、次は情報革命が起こった最近の話だ。ここではマーケティング理論の変遷、「価値がいかに認識されるか」に関する見方の変化について、あなたにも考えてみてもらおう。

 大衆を相手にしたマーケティングは、産業革命の勃興によって初めて必要とされるようになった。モノを大量に安く生産し、届けることが可能になったため、マスマーケットに対して必需品を大量に売り込む技術が求められたのだ。誰もが必要とする必需品が対象であったことから、初期のマーケティングは「消費者に商品の存在を知らしめれば売れる」という前提に立った、プロダクトアウト型、プッシュ型のアプローチが多かった。


 ところが、70年代になると、米国において経済が飽和し、次第にモノが溢れるようになっていった。多くの家庭で、必需品はもはや憧れの対象ではなくなった。この時から、消費者は自分の好みに合ったものを選り好んで買うようになっていった。これに合わせてマーケティング理論の中にも、「顧客を分類する」という考え方(セグメンテーション)が持ち込まれる。顧客を細かくグルーピングし、より深く理解する。商品ではなく顧客を見ようというという考え方が出てきたのである。


 これによって、顧客が何に価値を認めるか、何に共感を覚え、アイデンティティを感じるのかが議論のテーマになっていった。そこから、商品を超えた「ブランド」というものが着目されるようになる。つまり、マーケティング商品を売り込む技術から、ターゲットとする消費者を知り、継続的な関係を構築する学問へと発展していったのだ。


 そうなると、マーケティングはモノをつくって売る企業のためのものだけではなくなっていく。早い段階からコトラーが公共セクターのマーケティングに関心を持つようになっていったのはこのためだ。政府や美術館、大学などの公共セクターにおいても、市民や学生との継続的な関係をいかに形成していくかは大きな問題であり、それを解決することでマーケティングの可能性がさらに広がると考えたからだ。


 その後、今度は情報革命が起こった。情報通信技術が発達したことにより、SNSなどを介して消費者同士がお互いにつながるようになっていった。その結果、消費者自身がブログを通じて発信するようになったり、メーカーよりも仲間のブログの方を信用する消費者が増えていった。また、同じ価値観を持つ人たちのコミュニティができあがったことで、そこに働きかけ、消費者参加型の商品開発に取り組む企業も現れるようになった。


 あるいはアップルのように、熱狂的なファンが参加するストーリーを提供する企業も現れた。企業はもはや株主だけのものではなくなったのだ。いくら儲けになったとしても、消費者を裏切るようなことは許されなくなってきている。それは従業員も同じであり、アップルストアのように、従業員と顧客が共にストーリーを演じる場を提供することが企業の役割に変わってきているのだ。


 こうした企業はアップルだけではない。スターバックス、ディズニーランド、星野リゾートなどを見れば、変化の芽が見えてくるだろう。顧客や従業員が企業とともに価値を共創する時代へ移ってきているのである。

産業革命の時代においては、金やモノが主役であった。企業が経営資源を動員して価値あるモノをつくり出した。消費者は一生懸命企業で働き、貯めたお金で憧れのモノを買った。しかし、情報革命の時代においては、情報はタダで提供される。音楽も映像もゲームも新聞も、最低限のものはタダで楽しむことができるのだ。そうなると、お金を貯めて「いつかはクラウン」といった我慢強い消費者や従業員はいなくなっていく。


 モノや情報はもはや希少ではなくなり、自分の価値観を満たしてくれる仲間や、参加型のストーリーを消費者は希求するようになってきている。何年も先まで待つのではなく、いますぐ意味のある活動にメンバーとして参加することが価値をもたらすように変わってきている。つまり、金やモノに代わって、人が主役になったのだ。

 こうした経営環境の変化の中で、コトラーが一貫して唱えてきたのは、顧客を分析の中心に据えること、視点を製品から顧客に移すことによって、顧客の行動や意思決定のあり方を変えられるということだ。その際に問題になるのが、ターゲットとする顧客に自社の製品をいかに認知させるかである。そこから浮かび上がってきた新しい概念が「ブランド」である。


 ブランドとは、ある製品群や企業を他と差別化するための「記号」「シンボル」のことである。記号やシンボルとは、顧客から知覚されるための「形」を持つとともに、消費者にとって重要な「意味」や「価値」を持つ。この意味や価値のことをブランド・エクイティという。コトラーは、価値は製品そのものではなく、それを認知する消費者の心の中にあることを発見したのだ。「価値がいかに認識されるか」にこだわったコトラーならではの、コペルニクス的転換といえるだろう。

顧客の購買行動を変えるためには、顧客が価値を認識する過程を、顧客の内面に入り込んで感じ取り、顧客がどう心を動かされたいのかを理解する必要がある。爽快感や活力、くつろぎや癒し、喜びやワクワク感、かわいさや愛しさ、好奇心や刺激、優越感や全能感など、顧客が求める感情に、自分自身の内面をシンクロさせるのだ。


それを続けているうちに、何が顧客の心に響くのか、次第に仮説が意識の世界に浮かび上がるようになっていく。そして、顧客の五感にどのように訴えかければ、顧客の心を共鳴させることができるのか、我がことのようにわかるようになっていく。


 こうした過程から発見された知見が、情報革命の時代においては価値を持つ。情報革命によって、モノの価値が下がる一方、同じ価値観やモノの見方をもった仲間が発信するメッセージは、多くの人を惹きつけるようになった。消費者は企業がつくるモノよりも、仲間の声の方を求めているのだ。


 いまやお金やモノがなくても、ユーチューブやフェイスブック、ラインを使って、いくらでも楽しめるようになった。こうした時代をビジネスマンとして生き抜いていく上で、相手の内面を感じ取る力がますます重要になってきている。


ただし、人を共鳴させることは、相手に迎合することではない。そんなことをしても、それが消費者に驚きをもたらすことはない。「まあ、こんな感じですかね」という言葉が返ってくればいい方だろう。


 相手の共感を引き出すためには、相手が何に心を動かされるのかについて、自分なりのモノの見方、つまり目利き能力が必要になる。スティーブ・ジョブズジェフ・ベゾスなど、BtoCの世界を勝ち上がってきた天才たちは、みなそこに長けている。


コトラーの両親はウクライナからの移民だった。グーグルの創業者のうちのセルゲイ・ブリンも、両親がロシアからの移民だ。このシリーズで紹介してきた天才たちの中には、ジョブズやベゾスも含め、移民の子や養子の境遇にあった人物が多い。つまり安易に他人に迎合することを良しとはできない心境の中で生きてきた人たちだ。それが彼らに、周囲に迎合することなく、人が求めるものを異なる角度から見る力を授けたのだと考えられる。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160321#1458557171
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