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組織の生産性を損なう「インターフェイス優等生」の害!|マッキンゼーで25年にわたって膨大な仕事をしてわかった いい努力|ダイヤモンド・オンライン

 組織における評価の基準が不適切であれば、これもいい努力の壁になり得る。

 会社にはそれぞれ、「こういう人が優秀だ」というイメージがある。会社によって優秀さの定義は意外と一様ではないものだ。


 そんな個々の定義にそって社員は働き、上司は部下を評価し、「できる社員、できない社員」という評判も生まれる。


 だから、その「優秀」の定義が間違っていると、その組織の生産性は上がらない。正しい評価がなされていなければ、部下は成果と関係のない目的に向けた努力を目指すようになるからだ。


 評価が間違っている例としていちばん多いのは、インターフェイスの完成度、つまり仕事や当人の見栄えで評価するというものだ。「書類がきちんと整っているか」「説明がうまいか」という表面的な印象で評価が決まるのだ。


 この傾向が顕著な大企業は少なくないし、成果が数値で表れない間接部門やスタッフ職ではこういう現象が生じやすい。


 こうした会社や組織で評価されがちなのは、


「提案自体はそれほどでもないけれど、資料が読みやすい」


「たいした内容はなくても、ハキハキと話し、説明がうまい」


「何をするにしてもソツがなく、感じがいい」


 といったタイプだ。


 また、彼らのような「インターフェイス優等生」タイプは目立つから、まわりもなんとなく彼らの振る舞いに倣うようになり、間違ったロールモデルが誕生する。

 だが、間違った評価で昇進した人がリーダーになると、困ったことになる。正しい判断をしたり、いいアイデアを出したり、問題解決をしたり、部下を指導するという実質的な仕事で成果を出して昇進したわけではないから、いざ自分が責任者になって負荷のかかる仕事を任せられても、なかなか成果を出せないのだ。


 こうなるとまわりも本人も、やがて途方に暮れてしまう。これまではなんの問題もなく、上司にも人事にも「任せておけば大丈夫な人」「優秀な部下」と思われてきたのだ。本人にも「自分はできる」という自負があり、エリートと目されていたのに、こうして厳しい現実に直面すると、挫折して腐ってしまう。

 正しい評価は、非常に難しいものだ。私はコンサルタントとして何人かの優れた人事の責任者と仕事をしてきたが、彼らが口を揃えて言う「正しい評価をする方法」は、たった一つ。人を好きになり、個々の人材を一生懸命見ることだ。


 人を好きでない人は、人を見る目が育たない。魚の嫌いな人が築地で働いてもいい魚を見極められないし、馬が嫌いな人が競馬場のパドックで馬のコンディションを見抜くことも不可能だろう。


 人が好きで、人に関心が高く、人と過ごすことに時間を使う人が評価する側にいれば、いい努力が生まれやすくなる。手続きがうまいか、話し方がうまいか、資料がきれいかではなく、人そのものを見る。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160722#1469183991
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160713#1468406840