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 説明をする際に、話者がその分野に関してどの程度の知識を持っているかで6段階に分けることができる。知識量が低い順から、(1)ほとんど知識がない段階、(2)最低限のキーワードを把握している段階、(3)興味が出ていろいろな知識が増えた段階、(4)自分なりの持論を主張したい段階、(5)持論に疑問が出ている相対化の段階、(6)真理とおぼしきことをつかんだ段階だ。

(1)は、知識不足で知らないものは仕方がない。トップは突然、思いつきの無茶ブリな質問をすることもあるため、その場合は「私にはこの分野の知識はありません」と正直に答えればいい。しかし、期待に応えようと知らないのに無理に答えてしまう人もいるので要注意だ。適当な答えのせいで、悪印象だけが残ってしまうこともある。

(2)の最低限のキーワードを把握している段階は、あまり知識がないがゆえに簡潔に話せて、聞く側が騙されやすい段階。TVのアナウンサーなどを思い浮かべるとわかりやすい。定説を把握し、必要キーワードや固有名詞を頭に入れ、キーワード間の関係を話しているだけなのに賢そうに見える。実際には、3分も話すと終了するくらいの知識しかないのだが。人物としての可能性をチェックするため、わかりやすく話しをしてくれる人に対しては、自分の意見を披露してもらう質問をするのがよい。(2)で満足している人からは、受け売りの話以外は何も出てこない。

(3)興味が出ていろいろな知識が増えた段階は、聞く人を混乱させる可能性が高く、もっとも危険な段階。定説への疑問や自分なりの意識の芽生えから、頭の中はカオス状態になっている。説明の深い・浅いが安定しないため、初めて聞いた人には賢いのか、そうでないのかがわからないのだ。

(4)持論を主張したい段階。いろいろ学習した結果、自分なりに何らかの意見を保持している段階。他者の意見や質問に耳を傾けず、ともすれば攻撃的になる。その様子から自己主張の強い我儘な人だと思われることもある。懐が深く、ユニークな人間が好きな社長なら喜ぶが、そうでない場合は「彼・彼女は元気すぎるな(=ちょっと押しつけがましい)」と思われてしまう。

(5)持論を超えた相対化の段階。普遍性が高い理解をすべく、他を受け入れようとする姿勢がみられる。事象への理解度が高いので、相手に合わせた説明が可能だが、論理のほころびを自覚するときなどもあり、自信に満ちた感じではない。場合によっては何を言っているかわからないこともある。こういう人は、知的で謙虚で素晴らしいのにもかかわらず、過小評価される傾向がある。

(6)真理とおぼしきことをつかんだ段階。安定感があり、いかなる説明もできるので、あらゆる人から感嘆される。ノーベル賞をとった学者や、修羅場を乗り越えた経営者などが、誰に対してもわかる平易な言葉で感銘を与えるような説明をしてくれることがこれに相当する。ただし、会社での会話では、こういうレベルの話はほぼないといってよいだろう。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20161217#1481971433

「知識・見識・胆識」:安岡正篤「一日一言」 | 致知出版社−安岡正篤先生のページ

安岡先生は知識・見識・胆識とおっしゃっていました。知識とは理解と記憶力の問題で、本を読んだり、お話を聞いたりすれば知ることのできる大脳皮質の作用によるものです。


知識は、その人の人格や体験あるいは直観を通じて見識となります。見識は現実の複雑な事態に直面した場合、いかに判断するかという判断力の問題だと思います。
胆識は肝っ玉を伴った実践的判断力とでも言うべきものです。困難な現実の事態にぶつかった場合、あらゆる抵抗を排除して、断乎として自分の所信を実践に移していく力が胆識ではないかと思います。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110920#1316528301