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 つまり、ノートの書き方など、みんなバラバラなのだ。


 ただし、一言断っておくと、どんなノートを取っていようとも、最終的に外部に出す文書を作成する場合には、「人に理解される」内容に仕上げられる能力がある。「文書化」の基本を押さえているからだ。


 文書化の基本となるのは、以下の7つの基本原則である。


 チャンキングの原則:情報を小さなかたまり(チャンク)に分割する
 関連性確保の原則:1つのチャンクでは1つのテーマだけを扱う
 ラベル付けの原則:チャンクの内容の概略がすぐに分かるように見出しを付ける
 継続性の原則:同じ言葉を同じ意味で揺るがせずに使う
 グラフの統合化:グラフや図をその内容の側に添付する
 参照先の添付:興味を持った人がさらに調べることのできる先を記しておく


 これらの基本原則は、本来、学生時代の卒業論文などで担当教授から徹底的に指導されマスターしておくべきものである。その経験がなくとも社会人になったのちに、会社の基本となる文書フォーマットに、この基本原則が反映されていることから、自然とフォーマットなしでもきちんとした文書が作れるようになっていたわけだが、昨今はパワポ文書の氾濫により、原則が完全に崩れてしまっている。その結果、生産性が劇的に下がっていることは以前の記事でも述べた通りである。エグゼクティブたちは、このあたりの原則は、確実にマスターしている。

 一方、人に読んでもらう前段階であり、頭の中の状況の表出である「ノート」は、それとはまったくの別物だ。


 気になった事象の切れ端、そのときふっと思いついた思考のヒント、意図が明確なものも不明確なものも含めた他者の発言、全体の文脈……。それらが、「混沌」とした状態から、因果法則、コンセプト、構造などの「秩序」へとひとまとまりになっていく各段階のプロセスとその状況が、未整理のまま表出化されたものが「ノート」だからである。


 ぐちゃぐちゃなものが秩序化されたと思えば、他のアイデアが組み込まれることで再び混沌の状況になり、なんらかの基軸が組み入れられることで再び秩序化されるといったように、ノートには思考のいろいろな段階が記述されているのだ。したがって「ノートが美しい」というのは、このプロセスの貧困さ、つまり思考の浅さや、オリジナリティのなさを物語るのではないかと思われるのだ。


 たとえば、出席した会議が終わるときにはすでにノートをまとめ終え、人に見せられる状態になっている、というような人もいる。


 会議の目的に合わせて議論の流れを確実に追い、議論が脱線したところは無視し、自分なりの考察や関連事象を多少は入れ込み、結論へ。最後に、次に取るべきアクションと納期を押さえて、文書として完成している。


 この人のノートは間違いなく誰が見ても美しく整っているし、時短の時代にふさわしい生産性の高い人だ。素晴らしいスキルだと思う。


 しかしながら、こういう人は、大企業の優秀な管理職には向くが、トップエグゼクティブには向かないだろう。本当に優秀な人は、こんな風に、一元化した目的に沿った形で、単線的な情報の格納の仕方をしないのだ。


 彼らは、基本線は重視しつつも一本の文脈に限定せず、多数の文脈を念頭におきながら並行してノートに走らせる。発言や文脈の「揺らぎ」にも注目する。さらに、脱線であっても素材として面白ければ、本筋とはまったく関係のない雑談も他への展開の可能性として残しておく。ノートの時点で一元化した目的のみに沿って編集、整理することに拘泥せず、大いに「曖昧性と多様性の許容」を行うのだ。それらを素材にして自分の思考を深め秩序化していくのはその後である。


 曖昧性と多様性を許容したノートは、見た目としてはやはりぐちゃぐちゃになってしまうだろう。しかし、これこそが「可能性を秘めたノート」なのである。


 とはいっても、曖昧性にあふれたノートと格闘ばかりしていては、テキパキとした情報処理が求められる日々の仕事を進めることはできないから、会社に入れば多くの人は美しいノートをとるよう教育される。しかしこういったノートを絶対化し、曖昧性を許容しなくなると、イノベーティブな思考や行動は生まれにくくなってしまうだろう。


 結局のところ、優秀なビジネスパーソンになるためには、どちらのタイプのノートも取れるようになるべきなのだが、残念なことにノートの中でもとくに「曖昧性と多様性に満ちた部分」はとても人に見せられるようなものではないため、表に出てこないから真似できない。いきおい「美しいノート派」が幅を利かせているのだが、ノートなど美しくなくてもまったく問題はない。ただし、その後、混沌状態から秩序化に向けた試行錯誤が繰り返されることはとても重要なのだが。


 個人的には、レオナルド・ダ・ヴィンチのノートがとても好きだ。鏡文字で書かれたそのノート(手稿)は、きわめて秩序だって見えつつも、混沌とした部分が残り、まさに理想的だ(ちょっと検索していただければいろんな画像を見ることができる)。こんなノートがとれたらいいなと思いつつ、アイデアに詰まった時には、いつもダヴィンチのノート(といっても複製の印刷)を眺めることを習慣にしている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿 - Wikipedia

レオナルド・ダヴィンチの手稿から学ぶ手帳術 | ライフハックPRO

トーマス・エジソン
ダヴィンチがメモ魔で
大量の手稿を残していることを知り
天才になるには天才に習えと言わんばかりに
生涯ノートを取り続けました。
その数は3500冊。

レオナルド・ダヴィンチの時代は
まだ紙は高価で
安易に使えるものではありません。


ですがダヴィンチは大量の手稿を
残しています。


これは記録を残すことの価値を
理解しているからこそ
そこに出費をすることを
惜しまなかったということです。

1テーマ・1ページのルールで
書かれている

さまざまな内容のことを
記録に残している

ダヴィンチもエジソン
天才たちは
みんな孤独と戦っていました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170604#1496573509
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170604#1496573510
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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170604#1496573512
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170603#1496486671
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170602#1496400398
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170528#1495968376ガリレオ・ガリレイ
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170503#1493809131レーニン哲学ノート)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160617#1466160528
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160318#1458297714
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090415#1239750202

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