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 私はある時、「目標を持たない経営戦略」というタイトルで講演をした。世間では大人はもちろん、子どもだって「目標を持て」と言われるが、私は未来の目標よりも、今を生きることほど重要なことはないと思っている。


 人間は、目標を立てると、どうしてもそれに縛られる。しかし、これほど変化の激しい時代では3年後はおろか、1年後だって状況が大きく変わったりする。こんな状況下で「立てた目標にこだわる」というのはあまり意味がないのではないかと思うからだ。


 結果よりも重要なのは、今やっているプロセスそのものだ。日々、一つひとつのプロセスに集中する。たとえ半年後、1年後に思わしい結果になっていなくても、一生懸命やってさえいれば、必ず次のステップが来る。もちろんすぐに来るとは限らず、5年後かもしれないが。


 クォンタムリープという言葉がある。量子力学の用語で「量子的飛躍」と訳されるが、人間もあるとき、いきなり“跳ねる”。かつて、万年大関と言われた琴櫻さんが、めげずに稽古に励んで30歳を過ぎて横綱に昇進したように。


 とは言うものの、私も目標をまったく持たなかったわけではない。節目と言える時期に、目標数値を掲げたことはある。


 ジャパネットたかたは、私の両親が営んでいた長崎県平戸市カメラ店「カメラのたかた」がもととなっている。私は大学卒業後、3年ほどサラリーマンをしたあと25歳で実家に戻り、両親や兄弟たちと一緒に働いていた。27歳の時、私は、3万人に満たない長崎県北部の松浦市というところで支店を任された。当時、新婚だった私は毎日、平戸からフェリーで松浦に通っていた。

 松浦店での最初の月商は55万円。3坪ほどの小さな店だ。私は妻と、「1年で月商300万円にしよう」と話し合った。目標達成よりも、そこを目指すということ自体が非常に重要だと思ったからだ。55万を300万にするためには何をしたらいいだろう?私は、そのことに一点集中して取り組んだ。


 まず最初に行ったことは、待っていてもダメだから、現像フィルムを集めるために建設現場を片っ端から回ることにした。公共工事の役所提出用写真の現像とプリントを請け負うためだ。それでも収入が足りなければ、近くの時計店や衣料品店を誘って離島に渡り、ガリバン刷りの手作りチラシを配って臨時の展示会を開いてカメラ販売をしたりもした。


 こうして30万円、50万円と稼いで300万円の目標に近付けることをやってきた。そんな風に、自分のできることを精一杯する日々を繰り返した。このときは、一生懸命やったおかげで、月商300万円を1年で達成することができ、妻と手を取り合って喜んだ。しかし、達成できなかったとしてもプロセスで頑張ったことが、次の私に力を与えてくれるのだ。


 その後、通販の世界に入り、ラジオショッピングを始める(この経緯は後述する)のだが、それで40億円、50億円の年商になったときも、私は「次は100億円を目指そう!」などと意気込んだりはしなかった。「社長なのに」と驚かれそうだが、数字だけを目指したことはなかった。年商1000億円に到達したときもそう。周りは凄いですねと言ってくれたが、言われてみれば1000億円を超えているんだという感じの私がいた。


 しかし、無感動で働いていたわけではない。それどころか、毎日、自分のできることを精一杯やっていたわけだが、その「今やること」が、もう面白くて楽しくて仕方がなかったのだ。年商1000億円を超えても、あの3坪、月商55万円からスタートした「カメラのたかた 松浦支店」時代と変わらない喜びがそこにあった。

 もう1つ、私が目標設定だけにこだわりたくないのは、人間は結果を恐れる生き物だからだ。結果に固執すればするほど、未達成が怖くなる。そうすると、過去の失敗がトラウマとなり、行動力が弱まってしまう。


 だが、今を生きていれば、結果への恐れを感じることなく、必要なら大胆な行動もとることができる。

 早朝の出発で写真販売が間に合わない時もあった。せっかく撮ったのに売らなければ、お客さまに対しても失礼だ。そういうときは帰るルートをあらかじめ尋ねておき、北九州の門司港からフェリーで大阪まで帰られる方には、新幹線で先回りしてフェリーの到着地で販売したこともある。


 損得勘定だけで考えれば、そこまでするかと言われそうな話だ。実際、黒字だったかどうかは分からない。しかし、撮ったものをきちんとプリントし、お売りするのは私たちの使命だし、大変な思いはしたが、とても面白い経験だった。

 私は1986年、カメラのたかたから独立をして、株式会社たかたを設立した。これがジャパネットたかたの前身だ。しかしいきなり通販を志したわけではない。カメラ屋だったから、最初はカメラを売っていた。そうするうちに、ビデオカメラが世に出てきたから、これも売った。次にシャープがワープロを出したから、ワープロ販売も手がけた。

 この後にテレビ、カタログ、ネット通販にチャネルを拡大していったが、すべて最初に目標を作ったわけではない。「今」に一生懸命、全力で取り組んでいたら、きっかけがポンと現れ、次に追いかけるべきものが明らかになるものなのだ。


 成長する企業は、どこも似たようなものなのではないだろうか。ブリヂストンだって地下足袋の会社から独立してタイヤメーカーになったし、任天堂は元々花札を作っていた。HISも、格安チケットからホテル業などに参入していった。


 どんどん世の中は変化するのだから、その変化に対応するためにも日々の仕事に軸足を置いて、今という瞬間を一生懸命頑張ることが大事だ。そうすることで企業も人もその変化に対応し、新たな変化を自ら創り出していけるようになると思う。

 確かに、簡単な道のりではなく、さんざん試行錯誤を重ねた。人の問題では10名程を制作会社に修行に出し、それだけではまだ力不足だったので、費用は掛かってもプロの派遣を依頼し、修行に出した社員と派遣社員とでスタートさせた。しかし、あのとき自社スタジオを諦めなくて本当に良かった。あそこでチャレンジしていなかったら、今のジャパネットたかたはない。やはり生放送の臨場感は格別だ。自社スタジオを持って生放送をできたからこそ、商品の感動をお客さまにお伝えできるのだ。


 振り返れば、ラジオショッピングを始めた前後の日本はバブル真っ只中。しかし、私はバブルとか、バブルが弾けたという感覚をまったく持たなかった。佐世保の小さなお店で今を一生懸命にカメラやビデオカメラを売っていたから、ということもあっただろう。


 ただ、私は景気が良かろうが悪かろうが、お客さまの求める商品を探し求め、その魅力を余すところなくお伝えすることさえできれば、必ず売れると確信している。だから景気の良し悪しがあまり気にならない。