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 川上氏自身には、とてもユニークな習慣があるそうだ。なんと、「人との約束」と「物との約束」を区別する視点を持つために「鉛筆」を使うようにしているのだ。


 鉛筆は、黒鉛と粘土を混ぜて固めた芯を木の軸で覆ったものだ。「鉛筆で書く」とは、紙に黒鉛を擦りつける行為に他ならない。川上氏によれば、この行為は「物との約束」である。


 一方、PCのワープロソフトなどで文章を「書く」のは、キーボードからの入力を文字コードに変換して、ソフトウェアに解釈させ記録させる行為だ。これは「人との約束」だ。文字コードもソフトウェアも、人が作った仕組みであり、不確実なものだからだ。


 会議や打ち合わせで、PCやタブレットなどにメモをとる人がいるが、川上氏はその行為にとても違和感を感じるそうだ。それは、「人との約束」の確実性の欠如に対する感覚なのだという。


 川上氏は、「書く」というのは思考プロセスをたどる上でとても重要であり、それゆえに「鉛筆」という確実な「物との約束」で行うべきだと言っている。


 さらに川上氏は、鉛筆で書いたものを「消してはならない」という。たとえ考えが横道にそれてまとまらなくなったとしても、それも大事な思考プロセスの一部として記録に残すべきというのだ。


 しかしどうせ消さないのなら、鉛筆でなくてもいいじゃないか、とも思う。万年筆やボールペンでも「物との約束」はできる。


 川上氏が鉛筆にこだわる理由は、本書を読む限りではわからない。私の考えでは、鉛筆の文字は、時間が経つとかすれて薄くなり、消えてしまうのが良いのではないか。なんとも「物との約束」らしい。それに、鉛筆を使うことで、消えてしまう前に早くアイディアをしっかり形にしておこうという意識も働きやすくなるのではないか。


 鉛筆で紙に書き留めながら考えを深めていくプロセスは、時間がかかる。しかし、時間をかけて、ああでもない、こうでもないと「深く考え」抜くからこそ、ユニークな成果が生み出されるに違いない。