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ーーー ノーベル賞が授与されるさまざまな分野の中でも、特に文学が果たし、人類が支持できるような貢献にはどのようなものがあると思いますか?


イシグロ氏: 文学の重要な点は、それが人間の経験、感情を際立たせ、私たちが発見した知識によって何をするかを私たちが決める必要があることを際立たせていることにあります。そしてもちろろん、それがノーベルの物語の核心です。


なぜなら、ほとんどすべての人が知っているように、ノーベル賞アルフレッド・ノーベルによって創始されたからです。彼はダイナマイトを発明し、すぐに疑問が生まれました。ダイナマイトをどう使うべきか? 何のために使うべきか? ダイナマイトはひどい破壊のために使うこともできるし、すばらしい進歩のために使うこともできます。


だからノーベル賞の考えの中には、すぐにある共通の理解が生まれたのです。「知識を進化させ、科学的発見などをすることは、もちろんとても重要だ。しかし、そこにはもう1つ、とても重要な側面がある。つまり、私たちはそれらの発見をどう利用するかを決めなければならない」という理解です。そうしたことは、感情や人間の体験に関して、異なる文化や人種間に一定の理解があって初めてできると私は思います。


つまり、変化を経験するというのはどんな感じか? 技術のすばらしい進化を享受する側にいるというのはどんな感じか? 産業革命に移行し、情報世代に移行するというのはどんな感じか? ということです。私にとって文学の本質とは、人間の感情であり、願わくば私たちが作り出した障壁や壁を超えて、人間の感情を分かち合うことなのです。

そして、1つの物語は別の物語からの発展なのです。私は意識的にさまざまなジャンルを試そうとしているわけではありません。常にかなり抽象的なアイデアからスタートします。時代やジャンル、あるいは地理においてすらも、自然な設定はありません。だから私はいったんアイデアを得たら、しばしば、いわばロケハンをすることになります。このアイデアを具現化するのに最適な場所はどこか? 今世紀にそれを具現化すべきか? この国にすべきか? 未来の空想の世界でそれを具現化すべきか? だから私はジャンルについては、全く考えません。私は、その物語を機能させるために自分のベストを尽くそうとしているだけです。


私はむしろ、航空機を発明しようとした昔の人々に似ています。私は、航空機を空に飛ばすために、自分が得られるものは何でも取り入れています。私は自分の隣人の自転車を盗むかもしれません。しかし、それがどんな外見だろうが私は気にしません。私はただそれを飛ばしたいのです。そして私は大抵、本を書いている時には絶望的な気分になります。なぜならそれが「飛ばない」と思うからです。そして私は何でも盗みます。それが飛び始めると、ほかの人々はそれを見て「それは何ですか? 飛ぶ自転車ですか? 飛行機ですか? 空飛ぶ円盤ですか?」と言うかもしれません。後になって初めて、人々はその形を見て、「ああ」と言うのです。しかし私にとってはそれは、小説を組み立て、アイデアのための適切な場所を見つけようとすることに伴う混乱の結果にすぎません。

イシグロ氏: 私が体験したすべてのことは、本の執筆のしかたにおいて役立っていると思います。しかし私にとっては常に、アイデアの始まりは大抵2つか3つの文で、かなり簡単に表現できることです。私はノートを持っています。1979年からノートを持っています。同じものではありません。しかし、それは気がめいるようなものです。私はこれまで2冊しか持ったことがなく、それらはかなり小さいものです。このことが示しているのは、私が持っているアイデアがいかに少ないかということです。時々、物語にするすばらしいアイデアを思いついても、それは誰かほかの人が書くべきで、私にはふさわしくないと思うこともあります。しかし、アイデアを思いついて、「ああ、これは私の領域だ」と思う時もあります。春樹さんなら「それは私のキャンバスの一部だ」と言うでしょう。そこで私は、書き留め、そして考えます。私は常に、とても簡単に表現できるアイデアからスタートします。しかしそれは、私が2つか3つの単純な文の中でそれを見た時に、緊張、感情、そしてポテンシャルにあふれたアイデアでなければなりません。大きな物語を、いわば宿しているものでなければなりません。そうであれば、1冊の小説が書けるかもしれません。しかし、私がそうしたアイデアを見つけるのはとてもまれです。だから私が生涯の中で書いてきた本の数は、多くはないのです。 

イシグロ氏: 父の仕事のしかたは、私にとってはすばらしい手本だったと思います。なぜなら、父にとって仕事は「オフィスで、給料のためにして、帰宅してからはくつろぐ」というようなものではなかったからです。彼は決して止まりませんでした。彼はテレビを見る時も、即席の机で仕事をしていました。彼は自分のいすの肘掛けにボードやグラフ用紙を置いていたのです。テレビでスリラーものを見ている最中にアイデアを思いついた時に備えて、彼のすべての道具はそこに置いていたのです。彼は情熱を持って仕事をしていて、私にとってはすばらしい手本でした。私は科学についてはほとんどわからないし、科学的思考を持っているわけでもありませんが、仕事に対するそのような姿勢は、自分の生活から必ずしも切り離す必要があるものではありません。天職のようなものなのです。だから父の仕事ぶりは私にとってはすばらしい手本だったと思います。