https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

ASEAN東南アジア諸国連合関連の首脳会議に出席するためシンガポールを訪れている安倍総理大臣は、日本時間の14日午後8時前からロシアのプーチン大統領との日ロ首脳会談に臨み、会談は通訳だけを交えた首脳どうしのものを含め1時間半近くにわたり行われました。

このあと安倍総理大臣は記者団に対し「信頼の積み重ねの上に領土問題を解決し、平和条約を締結する。戦後70年以上、残された課題を次の世代に先送りせず、私とプーチン大統領で必ずや終止符を打つ強い意思を完全に共有した」と述べ、北方領土問題を含む平和条約締結に強い決意を示しました。

そして安倍総理大臣は「1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意した」と述べ、「平和条約を締結したあと歯舞群島色丹島を引き渡す」とした、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速することで合意したと明らかにしました。

さらに安倍総理大臣は、年明けにもロシアを訪問し、再び首脳会談を行う考えを示しました。

また両首脳は、首脳会談で、北方領土での共同経済活動について、双方の法的立場を害さない形でプロジェクトを早期に実施するため、さらに作業を進めていくことや、経済協力を推進するための「貿易経済政府間委員会」を来月18日に東京で開催することを確認しました。

さらに北朝鮮の非核化の実現に向けて今後も緊密に連携していくことや、防衛当局間の信頼醸成を進めることでも一致しました。

安倍総理大臣は15日は、中国の李克強首相、韓国のムン・ジェイン文在寅)大統領とともに、主に経済協力を協議する、日中韓3か国とASEAN加盟10か国の首脳会議に臨むほか、EAS=東アジアサミットに出席することにしています。

EASは地域の安全保障上の課題などについて協議する枠組みで、李首相やムン大統領に加え、アメリカのペンス副大統領、プーチン大統領も出席する予定で、朝鮮半島の非核化や中国が拠点構築を進める南シナ海の情勢などをめぐって活発な議論が行われることが予想されます。

ロシア大統領府のペスコフ報道官はプーチン大統領安倍総理大臣との間で行われた首脳会談の結果について「1956年の日ソ共同宣言に基づいて平和条約に関わる問題をめぐって、交渉を活発化させることで合意した」と明らかにしました。

1956年10月、当時の鳩山一郎総理大臣はソビエトを訪問し、ブルガーニン首相との間で、「日ソ共同宣言」に署名し、国交を回復しました。

共同宣言の署名に至る交渉は、主に現在の河野外務大臣の祖父の河野一郎農林大臣と、フルシチョフ第1書記との間で行われました。

日ソ共同宣言では、正常な外交関係が回復された後、平和条約の交渉を継続することや、平和条約の締結後に歯舞群島色丹島を日本に引き渡すことなどが明記されました。

ソビエト崩壊後も、日ソ共同宣言の有効性は日ロの首脳間で確認されていて、2001年の森総理大臣とプーチン大統領によるイルクーツク声明では、日ソ共同宣言を「平和条約の交渉プロセスの出発点」と位置づけています。

ただ、日ソ共同宣言についてプーチン大統領「平和条約締結後に日本に2つの島を引き渡すとなっているが、どのような形で受け渡すかということは明確に定義されていない」と述べ、宣言の解釈は必ずしも明確ではないという認識を示していました。

安倍総理大臣とプーチン大統領は14日、シンガポールで日ロ首脳会談を行い、このあとロシア大統領府のペスコフ報道官は記者団に「日ソ共同宣言に基づいて平和条約に関わる問題をめぐる交渉を加速することで合意した」と明らかにしました。

「平和条約を締結したあと歯舞群島色丹島を引き渡す」とした日ソ共同宣言について、ロシアは「両国の議会で批准された拘束力のある文書だ」とその有効性を認め、交渉の対象は、あくまでも2島だという考えです。

ロシアの専門家は共同宣言に基づいて交渉が加速することについては一定の進展があったと評価し、ロシアのメディアも「前進につながる合意だ」などと伝えています。

一方で、プーチン大統領は共同宣言には島を引き渡す際の条件や島の主権がどうなるのかが定められておらず、協議する必要があるとしてきました。

このためロシアは、島を引き渡したあと、日米安全保障条約に基づいてアメリカ軍が駐留しないことなど、島を引き渡す際の具体的な条件など宣言には盛り込まれていない部分の扱いが焦点になるとみて、今後の交渉に臨むものとみられます。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/11/14/200212北方領土“米軍置かず” プーチン氏が日米合意要求)

 まず第二次世界大戦における日本の降伏条件を構成する1943年のカイロ宣言には"The Three Great Allies are fighting this war to restrain and punish the aggression of Japan. They covet no gain for themselves and have no thought of territorial expans"、つまり「三大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰するため、今次の戦争を行っている。同盟国は自国のために利得をむさぼろうとするものではなく、また領土拡張の念も有しない」という「領土不拡張」原則が記されている。そして続けて、" It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914"(以下は中国との関係、省略), つまり、「同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し、または占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪する」という形で日本の領土をどの範囲に限定するかを明らかにした。

 しかし、アメリカ、イギリス、ソ連3国の首脳、ようするにルーズヴェルトチャーチルスターリンは、1945年2月、ソ連のヤルタで会談を開き、そこでスターリンソ連の対日参戦の条件として千島列島の引き渡しを要求し、ルーズヴェルトチャーチルがこれを認めて、ヤルタ秘密協定に盛り込まれた。そこには「三大国の指導者は、ドイツが降伏し、かつヨーロッパの戦争が終結して二・三ヶ月後、ソ連が左の条件にしたがい、連合国に与して日本に対する戦争に参加することについて合意した」として、(1)外蒙古の現状の維持、(2)1904年の日本の裏切りの攻撃(the treacherous attack)によって侵害されたロシア国の旧権利(樺太南部など)をあげ、さらに「(3)千島列島はソ連に引き渡される(shall be handed over)」という項目を付け加えた。

 第二項目はポーツマス条約(日露講和条約、1905年)における樺太の獲得にふれたものである。それはカイロ宣言における「1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し、または占領したる島嶼」という条項と異なるが、樺太日露戦争敗戦処理のなかでの領土獲得という側面をもつために、国際法上、一定の根拠をもつことになる(ただし、ポーツマス条約の問題性については後述)。

 しかし、千島についての第三項目は、明らかにカイロ宣言に対する違反である。このヤルタ協定は密約として日本国には伝えられていない以上、これを降伏条件として日本国に要求することはできない。もちろん、日本の戦争が侵略戦争であったことは明らかであるが、しかし、その責任を問うことと、戦後処理が降伏条件との関係で法的な正当性をもつかどうかは別問題であって、このような秘密協定を潜り込ませたスターリン、そしてそれを容認したルーズベルトチャーチルの行動は不当なものである。勝った側、さらに戦争において大局的な正当性をもったものが何をやってもよいということではないのである。

 「カイロ宣言」が第二次世界大戦における日本の降伏条件を構成するというのは、ポツダム宣言において"The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine"、つまり「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州ならびに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」と確認されているからである。もちろん、明らかなように、この条文の後半は実質上、ヤルタ秘密協定をうけた側面がある。わざわざ「本州、北海道、九州ならびに吾等の決定する諸小島」という用語をいれたことはスターリンの主張に対する曖昧な妥協であった。ポツダム宣言に「(アメリカ・イギリス・中国の)巨大な陸海空軍は西方より(中略)数倍の増強を受け日本国に対し最後的打撃を加へる態勢を整えた」とあるのは、ソ連の参戦を前提にしたものであるから、ルーズヴェルトチャーチルはさかんにスターリンに媚びを売ったのである。

 藤村信は「ヤルタ体制を結晶させたものは、あいまいな妥協であり、いかようにも解釈できる不明瞭な協定の文字である」と述べているが、ポツダム宣言の上記の条項は、その曖昧さを継承していたということになる(藤村信『ヤルター戦後史の起点』)。たしかに日本はポツダム宣言を受諾したが、右の曖昧な条文によって、カイロ宣言の領土不拡大原則と国際法上の原則をこえて、千島を放棄させられたことは容認すべきことではない。

 このヤルタ密約が前提となってサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)が締結されたのはいうまでもない。その第二章 領域、第二条、(c)項に「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある通りである。ヤルタ密約とそれを追認したサンフランシスコ条約の該当部分は、国際法上の不法行為であって、これの見直し・訂正を求めることは敗戦国とはいっても、日本国民の国際法上の権利であることは明瞭であろう。

 もちろん、外務省は、北方四島の返還を要求はするが、それをヤルタ協定国際法に反するという形では主張しない。ようするに、彼らには、ヤルタ→ポツダム→サンフランシスコという国際密約・協定などの全体を問い直そうという、外交官ならば当然にあるべき覇気と専門職としての自覚がないのである。

 まず千島については、最近の考古学的な研究によって、ウルップ島より北の北千島には「コロホウンクル(コロポックル)」と呼ばれた北海道アイヌとは言語を異にする民族が分布していた可能性が指摘され、それに対して択捉島以南は北海道アイヌのテリトリーのなかにあったといわれる(瀬川拓郎『アイヌ学入門』、講談社現代新書)。また樺太については、ギリヤーク(オホーツク人)の人びとの強い地であり、そこに北海道アイヌの人びとも古くから進出していたことは以前から明らかになっている。ユーカラが12世紀頃以降のアイヌとギリヤークの戦いを反映しているという金田一京助の盟友、知里真志保の説は有名であって、最近では支持者が多い(榎森進『アイヌ民族の歴史』、草風館。本書については保立『日本史学人文書院を参照)。

 私は、その意味で、徳川幕府が幕末・1855年安政元年)に結んだ日魯通好条約は、北海道地方における実情を正確に反映していた可能性が高いと考える。つまり同条約は、択捉(えとろふ)島以南を日本領とし、また、カムチャッカ半島につらなる得撫(うるっぷ)島以北をロシア領としたこと、また樺太(サハリン)を民族混住の地とした。これは実情をふまえた賢い判断であった可能性が高い。

 これに対して決定的な誤りを犯したのが、明治政府であって、明治政府は、せっかくの日魯通好条約を、北海道開発をロシアとの矛盾なく展開することを主目的として改訂し、1875年(明治8年)に樺太・千島交換条約を結んだ。これによって樺太全体がロシア領となり、ロシア領だった得撫島以北の千島が日本領となったのである。これは結果からいって、北海道開発による初期利益という衝動に動かされた愚策であったことは明らかである。明治国家は巨額の戦費を費やして日露戦争に「勝利」し、ポーツマス条約(日露講和条約、1905年)によって樺太を獲得したが、前記のように、これは戦争による領土獲得であると判断され、ヤルタ→ポツダムの経過のなかで、樺太南半部を放棄させられ、さらに全千島を、本来、北海道アイヌ民族のテリトリーとして北海道の一部であった、エトロフ・クナシリ・シコタン・歯舞(はぼまい)までをふくめて奪取されることになったのである。

 これはようするに国家の資本主義化のなかで、アイヌ民族の大地(アイヌ・モシリ)を奪い、明治国家の中央集権化・軍事化の資金としようという動きであって、この乱暴な政策が、結局、この列島の北への視野と活動を大きく狭める結果となったのである。他民族を抑圧するものは、いつかしっぺ返しを受けることの好例である。この明治国家のアイヌ民族に対する罪過は、さまざまな意味で、つぐないきれない種類の罪過であったと思う。

ロシアのプーチン大統領は14日、安倍総理大臣との首脳会談で1956年の日ソ共同宣言に基づいて交渉を加速させることで合意したことについて「わたしたちは日ソ共同宣言に基づき日本のパートナーと対話を再開させたがこれは日本側から要請されたものだ。日本はかつてこの宣言を議会で批准しながら実行しなかった。しかしきのう、日本の首相がこの問題を日ソ共同宣言のもとで協議する用意があると言ってきた」と述べて安倍総理大臣から提案してきたものだと明らかにしました。

そのうえで「日ソ共同宣言には平和条約の締結のあとに2つの島を引き渡すと書かれているが、引き渡す根拠や、どちらの主権のもとに島が残るのかは書かれていない。これは本格的な検討を必要とする」と述べ、2つの島の主権についても今後日本側と協議していく考えを示しました。

ロシアの主要メディアは15日、日ロ首脳会談の結果について一斉に伝えました。このうち有力紙の「イズベスチヤ」は「信頼の島々」という見だしで日ロ両首脳の発言をそれぞれ引用しながら「2人は平和条約交渉を加速することで合意した」と伝えました。

一方、北方領土での共同経済活動についても触れ「特別な制度を作りたい日本と、自国の法律を適用したいロシアの間で意見が割れ、実質的に始まっていない」としています。

またロシア国営テレビは15日、4人の識者を招いた討論番組を放送しました。
この中で、ロシア科学アカデミー極東研究所の日本研究センター長を務めるキスタノフ氏は「日米同盟があるため、もし北方領土を日本に引き渡した場合、そこにアメリカ軍が駐留する可能性がある」と安全保障分野での懸念を強調しました。

さらに「日本が本当に求めているものは平和条約ではなく、島そのものだ。色丹島歯舞群島の2島を引き渡して終わりではない。次は国後島択捉島について継続協議を行う『2島プラスアルファ』が狙いだ」と指摘し、警戒感を示しました。