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美瑛町 - Wikipedia

なだらかな丘陵と豊かな自然環境と景観が特徴になっている。

アイヌ語の「ピイェ」〔油(転じて油っこい・油ぎっている)〕に由来するとされる。

現在の美瑛川十勝岳からの硫黄が溶けこんで濁っていた様を表現したものであるが、「美しく、明朗で王者の如し」という意味を込め、「美瑛」と当て字された。

北海道のほぼ中央、大雪山国立公園十勝岳連峰と夕張山系との間に位置している。十勝岳連峰は複数回の大規模噴火によって火砕流が周辺地域にひろく分布し、放射状に河川が流れて谷を形成された。美瑛の波状丘陵は噴火と河川の侵食によるものであり、丘と沢が連続性を持って成り立ち変化に富んでいる。また、波状丘陵の上に格子状の区画割りで開墾を行ったことが美瑛の個性的な景観を生み出すことになった。開拓は沢の平坦地を水田に、丘の傾斜地を畑に開墾していった。

十勝岳 - Wikipedia

大正噴火
1923年、溶融硫黄の沼を出現させ活動を再開した。 1925年2月頃より小規模な噴火を繰り返していたが次第に活発化し、1926年5月からは小火口を形成するなど大規模な噴火が発生した。中でも5月24日12時ごろにグラウンド火口の中央火口丘西側で発生した水蒸気噴火では、小規模な火山泥流が発生して現在の望岳台付近まで流下した。5月24日16時18分の2回目の大規模な水蒸気噴火により中央火口丘の西半分が崩壊、これにより生じた岩屑なだれは噴火から約3分で火口から2.4kmの地点にあった硫黄鉱山の平山鉱業所宿舎を推定速度 40m/秒で飲み込み、さらに山頂付近の残雪を融かして泥流を発生させた。この泥流は美瑛川富良野川を一気に流下し、20分で約25km離れた上富良野市街に到達した。このときの噴火を描いた小説として、三浦綾子の『泥流地帯』及び『続・泥流地帯』がある。