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https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/11/06/200422(「進行している少子高齢化と人口減少という変化に対して、本来変えないといけないのに、経済、社会の仕組みが適合できていない、あるいは遅れているところに日本経済の抱える問題の原因の1つがあったと思うんですね。これは金融政策では解決できない問題です。金融緩和策は必要な政策ではあるけれど、この政策をやっているうちに、だんだん物事が見えにくくなってきて、何が本質的な問題なのか、分からなくなる。それが大きな副作用でコストだと思います」)

この手の国際会議というとたいていの場合、「本会合」と「分科会」に分かれている。そしてそれらにおいては常に「基調講演者」と「パネリスト」という話す側とそれ以外の参加者から成る聞く側の間に明確な線引きが為されているものだ。今回も恐らくはそうなのであろうと思いきや、全く違っていた点に度肝を抜かれたことを告白しておきたい。

フランスは強力な権限を持つ大統領の率いる国家として知られている。文字どおりの「トップ・ダウン」の国なわけであるが、そのフランスの政府当局の意向により「世界の近未来」を話し合うこのイベントではむしろ「修正されたトップ・ダウン」と、その他大量の「ボトム・アップ」がハイライトされていた。ますます積み重なる困難をグローバル社会が抱え込む中、これを解決すべく今必要なのは「集合知(collective wisdom)」であるというのが、「西洋の没落」という流行語が一斉を風靡した第一次世界大戦の時代から100年が経った今現在に立ち向かうフランス、そして欧州社会のリーダーシップが導き出した暫定的な結論であるということを実感した次第である。

「トップ・ダウン」によってオリンピックを相も変わらず利権構造の巣窟として平然としている東京。「ボトム・アップ」により徹底したコストダウンを図り、同時に透明性を確保することにより、一般市民レヴェルの手でオリンピックを再構築させるための仕組みを早くも打ち出し始めたパリ。これら二つのコントラストが秋空のパリの下ではっきりと見えた瞬間、私の脳裏にはもう一つの悲劇的な近未来が浮かんだのである。

「トーキョーでの大失敗の後だからこそ、パリでの大成功はより一層引き立つことになる。我が国は無論、世界の笑いものになり、欧州、ひいては西洋全体の優位が強く印象付けられることになる」

私たち日本人が全く気づかない間に、世界史は着実に動かされ始めている。近未来の新しい枠組みに向けて、である。国際社会全体から嘲笑されるという汚辱を避けるためには、最後の最後にデフォルト(国家債務不履行)という引き金が引かれなければならないのかもしれない。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/11/18/200000(「断片化と細分化の違い」に気づかせてくれた髙木先生の「たわけ」論)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/11/18/200130(高校「世界史」もとに一般書)