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 そのきっかけになったのは、1979年にパリ第?大学パンテオン校舎で聴いた、ピエール=レイノー教授の最終講義だった。当時私は、慶應義塾大学法学部の助手から専任講師に昇任した1978年春から2年間の予定で、福澤基金を得てパリに留学していた。パリ第?大学のジャック=ゲスタン教授に受け入れをしていただいたのだが、同大学大学院の博士課程の学生登録もして、同じパンテオンの旧パリ法科大学の校舎を使っていた、第?大学のレイノー教授の債権法やサンタラリー教授の建設法(請負中心の債権法に物権法、都市計画法などを加えたもの)の講義なども聴講させていただいていたのである。
 レイノー教授は当時のフランス民法学界の第一人者と言うべき方で、私は個人的にも同教授から、教授が指導した若い学者の未公刊の博士論文をお借りしたりしていた。普段は大家の雰囲気で格調高く講義を進める教授だったが、私の依頼を快く受け入れてくださったときに見せた気さくな態度が、今も強く記憶に残っている。

私が私淑し、また実際にもいろいろお世話になった東京大学の故星野英一教授は、愛弟子の大村敦志教授のまとめられた一書によると

私の師匠の故内池慶四郎教授

慶應義塾が生んだ民事訴訟法の泰斗、故伊東乾教授

 さて、そもそも私のように、一か所の大学に40年、などという経歴の研究者は、既に減りつつあり、これからなお減っていくと思われる。というのは、いくつかの異なった研究機関でキャリアを重ねていくほうが実力もつくし客観的な評価も得られる、とするのが学問世界一般にみられる近年の考え方だからである。

慶應義塾大学出版会 | 新世紀民法学の構築 | 池田真朗

伊東乾 - Wikipedia

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