「私は…「危機に陥った相当因果関係説を救う」ため、その修正と補充の提案を行ってきた。しかし今では…同説を放棄し、危険現実化説へと移行すべきものと考える」
— studyweb5 (@studyweb5) 2018年4月3日
刑法における因果関係論をめぐって 相当因果関係説から危険現実化説へ
井田良https://t.co/nUw5X1Hm2k
わが国の刑法学において、この15年ほどの間にその理論状況に最も大きな変化が見られた領域の1つは因果関係論である。とはいえ、刑法上の結果帰属 (構成要件的因果関係)の有無を、実行行為と結果との間に条件関係があることを事実的基礎として、それを法的見地から限定するという二段階の判断により確定する枠組みについては以前から変わりはない。大きな変化があったのは、 二段階目の法的因果関係の判断の内容と方法である。
1980年代までは、法的因果関係に関する学界の圧倒的通説は相当因果関係説であり、判例も、この説に対して拒絶的な態度をとるものではなかった 1)。 ところが、1990年代に入り、最高裁の判例は、同説とははっきりと距離を置くようになり、最近では袂を分かって「危険の現実化」という基準を用いるようになっている 2)。学界もその影響を受け、相当因果関係説から離反する者が増加し、同説はもはや過去の学説になろうとしているとさえいえよう。
私は、このような状況の中で、「危機に陥った相当因果関係説を救う」ため、 その修正と補充の提案を行ってきた 3)。しかし今では、そのような試みにも限界があることから、同説を放棄し、危険現実化説へと移行すべきものと考えるに至っている。本稿においては、法的因果関係論としての危険現実化説がどのような見解であるべきかを示すと同時に、相当因果関係説にどのような重大な欠陥があるのかを明らかにすることとしたい。
1)かつての判例の主流は条件説に従ってきたといわれるが、しかし、条件説によれば因果関係が認められる事案において、介在事情が経験的に普通予想できないという理由で因果関係を否定したものもあったのである(最決昭和42・10・24 刑集21巻8号1116頁〔米兵ひき逃げ事件〕)。当時(1986年)、高名な実務家であった中野次雄も「判例理論は客観的相当因果関係説だといわざるをえない」としていた(中野編『判例とその読み方〔三訂 版〕』〔有斐閣、2009年〕72頁を参照)。
2)最決平成22・10・26 刑集64巻7号1019 頁(「本件ニアミスは、言い間違いによる本件 降下指示の危険性が現実化したものであり、同指示と本件ニアミスとの間には因果関係があるというべきである」)および最決平成24・2・8 刑集66巻4号200頁(「これらの事情を総合すれば、Dハブには、設計又は製作の過程で強度不足の欠陥があったと認定でき、 本件瀬谷事故も、本件事故車両の使用者側の問題のみによって発生したものではなく、Dハブの強度不足に起因して生じたものと認めることができる。そうすると、本件瀬谷事故は、Dハブを装備した車両についてリコール等の改善措置の実施のために必要な措置を採らなかった被告人両名の上記義務違反に基づく危険が現実化したものといえるから、両者の間に因果関係を認めることができる」)を参照。判例の立場を基本的に支持するものとして、山口厚『刑法総論〔第 3 版〕』(有斐閣、2016年)58頁以下。
日本航空機駿河湾上空ニアミス事故事件 | 裁判例情報:検索結果詳細画面
下記論文における井田教授の「危険現実化説」は、被害者の特殊事情について因果関係を否定する余地を認める点、間接型(実行行為自体に高度の結果発生の危険がない場合)の場合に予測可能性欠如に基づく基礎事情の除外の余地を認める点で、従来の「危険の現実化説」とは異なる点に注意が必要です。
— studyweb5 (@studyweb5) 2018年4月3日
P29
例えば殺人罪の「殺す」行為とは,たまたま死の結果を生じさせた行為のすべてを含むのではなく,類型的に人の死を導くような行為でなければならない.
結果から見た危険性とは別個の類型的判断であるため,法益侵害の危険性の大小とは必ずしも一致しない.
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180331#1522492875
P51
相当因果関係説的な判例(裁決昭42・10・24⇨53頁)もないわけではないが,実行行為が,行為時の特殊事情・行為後の介在事情と相まって結果を生じさせたか(結果に現実化したか)により判断している(前掲・最判昭 25・3・31).
「裁決昭42・10・24」=米兵轢き逃げ事件
P32
相当因果関係説は,実行行為から構成要件的結果に至る因果経過の相当性を要求することによって,①実行行為に構成要件的結果を惹起する十分な危険性が認められること,②その危険性が構成要件的結果へと実現したことを必要とする見解であるといえる。とくに,因果経過の相当性は,行為の危険性の結果への実現に関係するものである。因果経過が異常であれば,行為の危険性とは異なった別の危険が結果へと実現したと解されるからである。しかしながら,①行為の危険性を,いかなる事情を基礎として判断するかに問題があること(これは,上述の判断基底をめぐる学説上の対立に明らかである),②行為の危険性の実現と,因果経過の経験的通常性との関係が不明瞭であること,すなわち,因果経過が通常とはいえないが,それにもかかわらず行為の危険性が結果へと実現したということがあるのではないかが問題となる。
#結果無価値
P33
相当因果関係説そのものが判例において採られているというわけでもない。そこでは,「行為の危険性が結果へと現実化したか」(危険の現実化)が基準とされて,因果関係の判断が行われているということができよう。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180324#1521888458(憲法解釈や抽象的命題をそぎ落とし、問題をもっぱら刑訴法の条文解釈に局限することで、徹底的に捜査の便宜を重視した解釈論を展開する)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180323#1521801387(実行の着手)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180322#1521715097(三段階審査=「裸の利益衡量」)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170526#1495794966
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170409#1491734230
P227
刑法における因果関係は、実行行為と構成要件との間の関係として、構成要件該当性を定める一要件として論ぜられるのであるから、その存否は、各構成要件に類型的に予想されているところに応じて、すなわち、われわれの社会生活上の経験に照らして、この実行行為からこの犯罪的結果の発生することが相当であると認められるかどうかによって決められるのが適当である。それ故、刑法における因果関係は、条件関係の存在を前提としつつ、相当因果関係説によって論定されるべきである。
P237
相当因果関係は、実行行為に含まれる構成要件的結果を惹起させる危険性が現実化して予期された構成要件的結果が発生したときに、その実行行為から構成要件的結果の発生したことが社会観念上相当であると認められる場合に、その存在を肯定することができよう。
#行為無価値
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180402#1522666347
#勉強法