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公表されたのはリーマンショックが起きた2008年下半期に開かれた11回の金融政策決定会合の議事録で、このうち4回は世界の中央銀行と協調して危機対応策を取るためなどの臨時の会合でした。

リーマン・ブラザーズの破綻翌日から開かれた9月の定例会合では、日銀の執行部から「金融市場は一変し、緊張感が一挙に高まっている」と、緊迫した報告がありました。

その後も市場の動揺や実体経済の悪化は深まり、日銀は相次いで臨時の会合を開いて世界の中央銀行とともにドル資金の供給などを行ったほか、10月31日の会合では当時0.5%だった政策金利の引き下げに踏み切ります。

この時は引き下げ幅などをめぐって8人の委員から4つの異なる意見が出され、議長を務める当時の白川方明総裁が「長い間会合に出ているが、4種類の意見が出たのは初めてだ。われわれが置かれている厳しい経済の情勢や、政策金利の水準が非常に低い状況の難しさも反映している」と述べました。

金利を下げすぎるとかえって市場の機能を低下させてしまうといった激しい議論の末、金利を0.2%引き下げる議長の提案への賛否が4対4の真っ二つに割れました。

最終的に、異例の議長判断でこの案に決まりましたが、事態が刻々と変わる歴史的な金融危機への対応に苦心したことが浮き彫りになっています。

その後、日銀は12月中旬の会合でも政策金利を引き下げたほか、よくとしにかけても銀行の財務基盤の悪化を食い止めるための株式の買い取りを再開させるなど、異例の対応に追われることになります。

当時、審議委員の1人だったキヤノングローバル戦略研究所の須田美矢子特別顧問は、NHKの取材に対し「当初は先進国が落ち込んでもアジアなど新興国の成長力で日本の輸出も持つだろうという認識だった。しかし、金融市場の影響が、問題ないと思われた国にも駆け巡って世界経済全体が落ち込んでいったのは想定外で、日本の輸出と生産が世界でいちばん大きな落ち込みになってしまった」と述べました。

また「実体経済と金融が負の相乗作用でだんだん悪化していったが、その判断もすごく難しく、どこが出発点でどう次につながったかとても悩みながら政策を決めていた」と述べ、統計データなどが出る前に想定を超えた速度で悪化する事態への対応が困難を極めたという認識を示しました。

そして、当時の危機対応の教訓について須田氏は「何かが起こった時に影響を食い止める政策手段がないと市場に受け止められてしまうと、中央銀行は政策効果を発揮させることができない。日銀は今の政策の枠組み以外でどういうことができるかしっかり考えておく必要がある」と述べ、景気が悪化した時にどのような手が打てるのか、十分に検討しておく必要があると指摘しました。