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 しかし、事態は今のところ沈静化していない。むしろ、小室さんの文書に対する批判がメディアの中で展開されているように思われる。これはなぜか。国民の支持を得ることを第一とした「平成流」の天皇制のあり方とこの文書が異なることが、一つの要因ではないかと考えられる。

 1989年1月7日、明仁皇太子は天皇に即位し、即位後の朝見の儀において、「国民とともに」「世界の平和」という文言の入った「おことば」を「です・ます調」で発表する。国民とともに歩むことが平成の当初から掲げられ、天皇制が変わったという印象を与えたのである。こうした姿勢が国民との関係性をより重視した「開かれた皇室」と言われ、マスメディアでは大きく取りあげられた。明仁天皇の即位後の言動は、新しい皇室像として好感を持って捉えられ、国民の支持を得ていった。

 しかし、明仁天皇は自身の取り組みを「平成の象徴像というものを特に考えたことはありません」(2009年11月、即位20年に際しての会見)と、「平成流」と評価されることは否定している。天皇にとってそれは自身特別のものではなく、「長い天皇の歴史に思いを致し、国民の上を思い、象徴として望ましい天皇の在り方を求め」てきた結果だと意識している。日本国憲法の「象徴」の規定は、歴史的にも天皇のあり方としてふさわしいと見ているのだろう。そうしたあり方を現代の社会に適応させてきた結果が、現在の象徴天皇制であると思考していると思われる。

 こうした「平成流」の行為は、政治の不作為を埋めてしまう作用がある。被災地において政治が解決しなければいけない様々な問題が、天皇の訪問によって解消したように見え、不満が顕在化するのを抑えてしまっている。戦争の問題も、いわゆるリベラルと呼ばれる人々も含めて、本来は自分たちが詳細に問題の意味を語らなければならないにもかかわらず、天皇に期待することで満足してしまっている状況も存在している。そうした意味でも、明仁天皇は国民から広く支持されているのが現状である。おそらく、この状況は退位後の新しい天皇になっても続くのではないか。

 冒頭、小室圭さんの文書が批判されていると述べた。それは、こうした国民に近しい「平成流」と異なる方向性だったからではないか。それは物理的にではなく、精神的に近しいという存在である。平成という「分断社会」にあって、国民の声に耳を傾け、直接的に話しかける「平成流」。それに対して、法律上では「解決」していると文書のみで伝えてしまった小室圭さん。そこに違いがあったのではないか。

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