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《 しかし、戦闘のことは必ず名義を踏み正理真道をとらねば、敵軍を圧するに足らず。苟も、兵を頼んで国内外の批評を招くときは、すなわちこの国は滅ぶだろう。》( 『桐陰仙譚』)

桐野は、万一、話し合いによる交渉が決裂し、軍事力を使うことがあるとしても、国内外が納得する「 名義 」が、つまり「 大義名分 」が必要だと言っている。

私の見方では、司馬は 、「初めに欧米視察組ありき 」の前提でしか、この時の征韓論を考えていない。要するに、征韓論の中身ではなく、岩倉具視木戸孝允大久保利通伊藤博文等の「欧米視察組」と、西郷隆盛板垣退助江藤新平等の「国内組=留守政府組」との対立としてしか見ていない。そして、欧米視察組を「近代化=開明派 」、国内残留組を「 封建主義=守旧派」という図式。司馬遼太郎にとっては、欧米視察組は、国際情勢の現実を見て来たから、彼等の言うことが間違うはずがない、正しいはずだと思い込んでいるのだ。逆に国内組=留守政府組は、国際情勢の現実を知るはずがない、と。そうでなければ、翌年、あるいは翌々年、大久保政権が行った台湾出兵朝鮮出兵(江華島事件 )もまた「 愚論 」「 愚策」であるはずだからだ。しかし、司馬はそうは言っていない。一、二年で、国際情勢は、あるいは国内の財政状況は激変したとでも言うのだろうか。そんなはずはない。司馬遼太郎は、「 台湾出兵」や「 江華島事件 」という軍事行動を、批判していない。

東大国史学科卒の歴史学者なら信用出来ると思う人は少なくなくないかもしれないが、むしろ逆だろう。東大国史学科卒の歴史学者だからこそ信用出来ないのである。東京帝国大学国史学科教授の一人・重野安繹(しげの=やすつぐ )は、大久保の縁戚であり、大久保に、西郷の伝記を書くことを依頼された、いわく付きの人物である。さらにもう一人の東京帝国大学国史学科教授は、大久保等の欧米視察に同行し、その記録『特命全権大使 米欧回覧実記』を書いた久米邦武であった。重野安繹と久米邦武は、共に日本国史編纂事業に参加している。東京帝国大学国史学科の編纂する「日本史 」が、信用出来るわけがない。

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