【そもそもの論文に「参考文献」がなかった?】
— 講談社ブルーバックス (@bluebacks_pub) 2019年3月15日
アインシュタインといえば相対性理論。だが、その理論の「独創性」に重大な疑義があるとしたら──?https://t.co/nQNrizTLCl #ブルーバックス
通常、科学論文、そしてそれ以前の科学的研究というものは、先人たちの研究成果の上に積み上げられるものなので、本当に“無“から生まれたような仕事でないかぎり、参考文献が一つもないというのは、普通はあり得ないことだ。
事実、科学論文の価値を決める一つの指標は、参考にされている論文(先人たちの研究成果)の質と量である。
かのニュートンが「もし仮に、私がほかの人よりも遠くを見渡すことができたとすれば、それは私が巨人たちの肩の上に乗っていたからである」という謙虚な言葉を遺しているが、この“巨人たち”というのは、具体的にはニュートン以前の自然哲学者、科学者であるアリストテレスやコペルニクス、ガリレイ、ブラーエ、ケプラーらを指している。
アインシュタインの思考がいくら革命的であったにせよ、アインシュタインが先人たちの思考を土台にしていることは当然のことである。アインシュタイン自身、1949年に発表された『自伝ノート』の中で、こう述べている。
ニュートンよ許したまえ、あなたはあなたの時代において最高の思考力と創造力をもった人間に、かろうじて可能であった唯一の道を発見された。あなたの創造された概念は、現在でもなお、われわれの物理学的思考において指導的なものであります。たとえ、今やわれわれが、ものごとの関係をより深く理解しようとするならば、あなたの概念を、何か別の、直接的な経験の領域から遠く離れた概念によって置き換えねばならないということを知っているとしてもです。
(金子務編訳『未知への旅立ち アインシュタイン新自伝ノート』)アインシュタインが「ニュートンよ許したまえ」といったのは、具体的には「特殊相対性理論」によって、ニュートンの「絶対時間」「絶対空間」を否定したことに対してである。
ポアンカレは並外れて優れた数学者、物理学者で、おだやかな人柄として知られていたが、自身の論文を引用文献としなかったことに関しては、アインシュタインを生涯許さなかったそうである。