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昭和天皇ご不例のさなか、極秘で元号選定準備を進めていたのは、当時内閣内政審議室長だった的場順三氏である。

「私がその任に就いたのは85年でしたが、前任者からの引き継ぎで国書に通じた先生に考案を依頼していました。ところがその方が亡くなったため、新たに国文学が専門の市古貞次・東大名誉教授に依頼し、引き受けてもらったのです」

 が、その案は最終候補には残らなかったという。

「国書からよい意味を持つ漢字を抜き出すのは容易ではありませんでした。当時、国文学では『源氏物語』『徒然草』『枕草子』などが研究対象となることが多かったのですが、宮中の日常や恋愛、あるいは随想から有用な文字を選ぶのは非常に難しい。また企業名や商品名などで、国書出典の漢語の方が日本で俗用されている可能性が高いから大変です。俗用が後から判明すれば、皇室の尊厳にも傷がつきかねません」

 それでも前回とは、国書の位置づけは大いに異なる。すなわち総理の“肝煎り案件”だからである。

 的場氏が続けて、

「『平成』は、東洋史が専門の山本達郎・東大名誉教授の案でした。このほか最終案として、中国文学の目加田誠・九州大名誉教授が考案した『修文』と、中国哲学宇野精一・東大名誉教授の『正化』が最終候補に残りましたが、89年1月7日に有識者懇談会を迎える前に、竹下総理や小渕官房長官との間では“平成でいこう”という暗黙の了解がありました。だから私は懇談会で『修文と正化はイニシャルがSとなり、昭和と重なるので平成がいいのでは』と、議論を誘導していった。元号とは政府が決める、つまり決定権は内閣にあるわけで、周囲の意見を聞く一方、時には総理がリーダーシップを発揮し、そこに導いて決断するのも一つの手法だと思いました」

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