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「宮邸から大会をご覧になった佳子さまのご様子も含め、新聞テレビ各社は大会関連のニュースを報じました。すると、ネットに、佳子さまや秋篠宮家を悪しざまに言う書き込みが止まらなくなったのです」

T氏の著作を国立国会図書館で検索すると、2009年以降の公文書館報「北の丸」で、尼子と同じく、公文書館が所蔵する漢籍の目録について記事を書いていた。さらに調べると、03年の中央大大学院の論文集では、中国・北宋時代の詩人・欧陽脩についての論文が掲載されていた。

中央大で03年当時に中国哲学を専門としていた教授は宇野茂彦。平成改元時に最終三案の一つを提案した東京大名誉教授・宇野精一の長男で、精一は尼子が二松学舎大大学院で学んだ時の師でもあった。

ここで、一つの線が思い浮かんだ。宇野家と元号を結ぶ線だ。平成改元に関わった宇野精一が、来たるべき次の改元に備えて、弟子を「元号研究官」として政府に送り込んだ。

そして時代を超えた今日、漢籍の名門一家は代替わりし、精一の後を継いだ長男の茂彦が、元号研究官の代替わりの際に門下生を政府に推薦したのではないか。精一の元号に懸けた思いが今日、T氏に引き継がれているのではないか。主導したのは宇野家か、それとも政府か、という因果関係はわからないが、一つの仮説を証明すべく、関係者を当たることにした。

漢籍を含む、日本有数の古文書を所蔵する公文書館だが、現在は漢籍の専門家は1人もいないという。そもそも漢籍の史料照会は少なく、公文書館を訪れるのは、どのような史料があるかをよく知っている研究者のため、専門の職員がいなくても対応できるとのことだった。

尼子やT氏ら「公文書研究官」と、対応してくれた「公文書専門官」は役割が異なる。専門官は行政職の事務官だ。各省庁が作成し、業務で使用して保存期間が過ぎた文書は、公文書館で受け入れる。その文書を整理、管理したうえで、公開の是非を評価するのが公文書専門官だ。公文書管理法が2009年に成立し、公文書の適正な管理、公開が問われる今日は、これが公文書館の主要な業務になっている。

一方、公文書研究職(管理職になると研究官)は専門職で、公文書館の内規で業務について「公文書等に関する学術的調査研究に関すること」と記されている。「等」には古文書、漢籍も含むというのが公式な解釈だが、ここに元号選定業務も含まれているようだ。

私は2017年12月18日、モノレールの「中央大学・明星大学駅」を降りてすぐの文学部棟を訪ねた。宇野茂彦の後任にあたる漢籍研究者に会うためだった。

宇野は15年3月に中央大を定年退職し、名誉教授になっていた。後任の文学部教授には、中国哲学が専門の水上雅晴が就いていた。水上は北海道大、同大学院で学び、伊東倫厚教授(07年死去)の指導を受けた。伊藤と宇野は同時期に東京大、同大学院で中国哲学を学んだ同窓で、『旺文社 漢字典』を共同編集している。そうした縁があり、退職する宇野は琉球大教授だった水上を中央大に招いた。

平安時代から江戸時代までは、菅原家など学問を修める名門の公家が、元号案を考案して朝廷に提出していた。元号考案に関わるのは名誉であり、各家は後世の子孫が活用できるよう、提出した元号案や、どのような議論を経て採用、不採用になったかの記録を代々残してきた。元号を提出した公家は、「文章博士家」と言われた。

取材の最後に、平成改元に関わった宇野精一の話題を出すと、水上は「宇野家は中国哲学で特別な家で、三代続けて東京大で中国哲学を学んだ。ある意味、文章博士家みたいなところです」と解説してくれた。

T氏の師匠である宇野茂彦のいとこ、共立女子大教授・宇野直人の研究会にもT氏は顔を出していた。宇野直人は中国文学、漢詩が専門。祖父は宇野哲人で、父が宇野精一の弟だ。T氏は直人が主宰する、中国・南宋時代の儒学者朱子を研究する「朱子研究会」の会員だった。18年11月に直人に話を聞いたが、「10年くらい前から来なくなり、その後連絡を取っていない」と話した。

水上、高橋、宇野直人の3人とも、T氏の公文書館での現在の業務については知らなかった。水上を除くと、近いはずの漢籍研究者とも交流がなく、宇野茂彦の弟子であること以外は情報があまりにもない。

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