2045年問題、つまりシンギュラリティなどナンセンス - 大槻義彦の叫び、カラ騒ぎ - Yahoo!ブログ https://t.co/8notip4QZE #ブログ #日記
— 大槻義彦 (@otsuki1936) 2019年3月18日
人知には機械が決して超えられない深く、強力な様々な知性がある。それは哲学や感性のことである。つまり世界観、人生観、物質観、社会性、生命観などのことである。それに加えて美意識、音楽認識、感動なども加わる。
これらの哲学や感性はディープラーニングでは決して得られないものである。
何故ならば人の哲学や感性は生まれて間もなくから親、兄弟、友達、学友。教師などとの相互作用の結果培われるものである。それらすべてをコンピューターがディープラーニングしようとしても親はどこにいるのか、兄弟、学友、教師はどにいるのか?コンピューターの幼稚園、小学校、中高学校をどうするのか。
超高速コンピューターは学校教育のすべてを極めて速く学習するから大丈夫と幼稚な反論をされるのが目に見えている。しかし大事なことは教科の学習だけではない。感性や哲学を形成するためには人が長い時間かけて自己と他者との絶え間ない相互作用なのだ。それには時間とチャンスを与えなければならない。日本の子供たちは1学年総数およそ100万人である。コンピューター100万台の学校を作るか?!その間に人間は恋もする。失恋もする。祖父母の死にも直面する。そのような場面のディープラーニングなどコンピューターには出来ないのだ。
哲学や豊かな感性を得られなかったコンピューターにはアインシュタインやモジリアーニは決して生まれない。アインシュタインの相対論はそれまでの力学や電磁気学の学習、ディープラーニングでは決して発見されなかった。そこには相対性原理という哲学が出発点となったからである。また天才画家モジリアーニの感性、美的構成もディープラーニングでは決して得られなかった。その証拠にモジリアーニの絵は1920年に彼が死亡するまでは全く不評であった。それが死後10年ほど経て急に高い評価となった。モジリアーニもピカソの青の時代も全く認められなかったのは美的感性がそれまでの美的感性をいくらディープラーニングしても学べなかった事実を証明している。
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人間がコンピューターシステムに組み込まれてロボット化する。
それで、作った科学者までもが身動き取れなくなる。
さらに恐ろしいことに、コンピューターが暴走する。
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