この方の文章をほぼ初めて見たが、すごいというか酷いというか。「実務家教員」のダメなところを煮染めた感じ//呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか? https://t.co/l6IJpx01V6
— desean takahashi (@desean97) 2019年3月21日
>「(本能寺の変の動機を)知ることで、世の中の動きを予想したり、あるいは、自分と部下や上司の関係のヒントにしようという意味合いも大きい」
— ドンじょぶお (@urakkun26) 2019年3月20日
ソレをやったらアカンというのが問題提起の本丸なんだが全く理解していないのはすがすがしさすらある。
https://t.co/ucsitn3aFx
だから無罪判決に接したとき真っ先に考えるのは「被告人の人権」。
— かめいし倫子(弁護士・立憲民主党) (@MichikoKameishi) 2019年3月21日
判決全文を読んだうえで事実認定におかしいところがあると批判するならまだしも、そうでない無罪判決批判は的外れ。性犯罪だろうと何であろうと。今回の件は、法改正すべきとの主張ならわかる。感情的な判決批判はともかく的外れ。
比較的この問題に関しては、ふだん殺伐としている弁護士たちの反応はほぼほぼ一致してるのが、なんか、すこしホッとします。
— 弁護士 戸舘圭之 (@todateyoshiyuki) 2019年3月21日
なんか法クラ一致団結感あっていいな。 https://t.co/I7ND1ijeaX
— 弁護士 戸舘圭之 (@todateyoshiyuki) 2019年3月21日
考える人間であることをやめ、価値判断を上位者や帰属集団に委ね、状況の変化が持つ意味を考えず適応することしか考えない人は、状況の奴隷だろう。国の中枢が、そんな人間ばかりになれば、権力者が「一線を越える行動」をとっても許される。皆がそれに合わせて行動する。そんな壊れた国になっている。
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) 2019年3月22日