今日は放送大学時代の同僚の坂井素思さんと春カフェの約束がある。12時に「パン日和あをや」で待ち合わせなのだが、私が忘れ物を家にとりに帰って、20分ほど遅刻した。坂井さんはビールを飲んで待っていた。「飲めない人を前にビールを飲むのは気が引けるのでちょうどよかったですよ」と言ってくれる。
アップルサイダーで喉を潤す。
腹ごなしに歩きましょうということで、夢見ケ崎動物公園をめざす。途中、鹿島田駅と新川崎駅の間くらいにある「新川崎タウンカフェ」というところに立ち寄る。
坂井さんは動物よりもベンチの方に関心があるようである。
「ノチハレ珈琲店」に入る。
閉店時間の午後6時近くまで、われわれはおしゃべりをした。図書館での過ごし方とか、定年後の生き方とか。
夕食は焼肉(ジンギスカン風)、チーズ入り笹かまぼこ、サラダ、味噌汁、ご飯。
専門は社会経済学。
西部邁に師事。
入り口から手づくり感溢れみですが、お待ちしてマス\*1/#戸山生協オンリー pic.twitter.com/PCW3lcLf7N
— 早大生協戸山店 (戸山くん) (@wcoopbuncan06) 2019年3月21日
午前の部、4年生文構先輩がアルバイトのことやサークル、就活、卒論のことを話してくれてマス。
— 早大生協戸山店 (戸山くん) (@wcoopbuncan06) 2019年3月21日
論系、コース選択もあるから、1年生ももちろん勉強はしっかりφ(。。*) メモメモ#戸山生協オンリーイベント pic.twitter.com/BzCtIcXL66
先輩?さっきまでパソコンの話してたよね?途中で西洋史をめっちゃアツく語り始めてしまって、もう、マルタ島の続きが気になって仕方ないよ…#戸山生協オンリー pic.twitter.com/7befgSmPWw
— 早大生協戸山店 (戸山くん) (@wcoopbuncan06) 2019年3月21日
https://pbs.twimg.com/media/D2JZOz3U4AAaJql.jpg
西洋史に興味を持ったあなたは、ぜひ #史学舎 へ!!
— 史学舎【公式】(早稲田&日本女子大公認) (@shigakusha) 2019年3月21日
もちろん日本史も出来ますよ! https://t.co/n5cmSkbYk8
@shigakushaの質問箱です https://t.co/mqO846PFhl #質問箱 #peing
— 史学舎【公式】(早稲田&日本女子大公認) (@shigakusha) 2019年3月21日
早稲田大学・日本女子大学公認歴史サークル、史学舎です!
インカレなので他大生も歓迎!
新歓やサークルのことでギモンがあればどしどし質問下さい!#春から早稲田#春から本女#春から学習院 #春から学習院女子
恒例の学食体験も。トレーを取って、冷蔵庫の中から自分で好きなお惣菜を取ります🏄♂️🏄♂️
— 早大生協戸山店 (戸山くん) (@wcoopbuncan06) 2019年3月21日
学食の使い方は改めて動画か何かでお伝えした方がよいよね🤔
#戸山生協オンリー #春から早稲田 pic.twitter.com/8UKi5XWQpX
矢田俊文さんが新潟大学退職。ご苦労様。おめでとう。講演の題が「日本中世戦国史研究と史料」と読める。和歌山の県史に関わって明応津波を論じ、阪神大震災の後、新潟の史料ネットワーク運動を作り、3,11前から東大の地震研究所など理系の地震研究と融合的な研究を進められた。尊敬する研究者。 https://t.co/bWYEZccuyV
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年3月21日
これはすごい。歴史の研究も史料のデジタル化と注釈、意味解析などが進めば、徐々に他分野の学者研究者も接近しやすいものに変わっていくだろうと思う。地震史・火山史は理系でも史料を詳しく読む人が増えている。対象を知っているから史料読みが深くなる。知識が広がっていくとはそういうこと。 https://t.co/cAmKd5kAPL
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年3月21日
そうなれば、歴史学は「素人」の最もやりやすい学問になる。定年後歴史学である。農業・漁業・林業・商業・牧畜をやった人は対応する歴史を研究する力をもっている。なかでも「防災」と「災害」の研究はもっとも大事。先日近江での講演で地域の地震史を研究されている「素人」の方が多いのに感銘。
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年3月21日
後藤真「「デジタルアーカイブ」とアーカイブズ、そして歴史学を取り巻く現在と未来」『歴史学研究』974号を読む。歴史学系学会誌の多くが電子化公開されていないことが歴史学のディスアドバンテージという指摘、まさにその通り。
今何よりも大切なのは、基礎的な営為を枉げることなく保つことでしょう。世界が大きな変革期にさしかかっている今だからこそ、従前自明とされていたことがらを基礎に遡って問い直し捉え直す研究は、いっそう重要な意味を持つはずです。法学と歴史学に基礎を置く法制史学のディシプリンの根幹を強く意識し、しかし狭い専門領域に引き籠り孤立するのではなく、関連諸分野との緊張関係を意識的に保つことによって、学問分野としての存立を鋭く磨き上げることが、今我々にできること、なすべきことに他なりません。
【新着記事】八幡 和郎: 呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか? https://t.co/aKWDEW93mX pic.twitter.com/1xgLKndueH
— アゴラ (@agora_japan) 2019年3月19日
「私が呉座先生の専門である文献史学について素人であるのと同じです。呉座先生は資料を分析し評価するプロとしての技術や見識をお持ちですが、その分析対象の政治、外交、経済については素人です。当たり前のことです」
歴史をなぜ人々は学ぶかといえば、もちろん、真実を知るとかいうこと自体に意味がないわけでないが、もっと重要なのは現実の政治や経済や生き方を考えるために役に立てるためだ。
創造性の大部分は学際間の類推から生まれると川島教授から学びました。
■大久保利通はスターリンだったのか? (山崎行太郎『南洲伝断片的草稿より) ■ 大久保利通は「東洋のビスマルク」とか「日本のビスマルク」だとかいうのが歴史学者たちの間では定説のようだが 、私は違うと思う。大久保利通は「スターリン-
— 山崎行太郎の毒蛇山荘日記 (@yamazakikoutaro) 2019年3月21日
山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』 https://t.co/EcK1gPNpby
確かに大久保利通は、政治の季節到来とともに、新政府の中心人物にのし上がるが、しかし、大久保利通には、西郷や桐野にあるような、武力を背景に戦ってきた武人たちが自然に身に着けた威厳や威圧感というものが欠如していた。しかも、江藤新平や大隈重信、板垣退助、伊藤博文というような有能な若手政治家たちが台頭して、「大久保、何するものぞ」という空気がただよいはじめていた。特に江藤新平と大隈重信というような佐賀グループとも言うべき人物たちの活躍が目立ちはじめていた。佐賀グループは、薩長から政治の主導権を奪いかねないほどの勢いだった。たとえば、今は、「岩倉使節団」と呼ばれているが、これは、元々は「大隈使節団」となるはずだった。条約改正問題を念頭に、才気煥発な大隈が、西欧使節団派遣を、言い出したものだった。それに敏感に反応したのが大久保利通だった。大久保利通は、岩倉具視や木戸孝允を仲間に引き入れて、「 岩倉使節団」に名前を変更して、「大隈使節団」潰しを画策する。江藤新平はもっと手強い相手だった。江藤新平は、近代法に詳しく、しかも、誰にも臆するところなく、法の適用は厳格であった。
私は、西南戦争は、大久保の「 近代主義」と西郷の「 封建主義 」との戦いだったという通説は間違いで、そうではなく、大久保の「国権論 」「 国家中心主義 」と、西郷や桐野の「 民権論」「 民衆中心主義」との戦いだったのではないか、と思うようになった。
リーダーは早稲田大学周辺では学生服は着用する必要がありますが、それがきっかけで応援部?と声を掛けられて他の体育各部と仲良くなったり出来ます👍🏻#春から早稲田 #応援部 #peing #質問箱 https://t.co/423h2qIEvZ
— 早稲田大学応援部 新歓2019🌷 (@w_ouen_shinkan) 2019年3月21日
*1: °ω°