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今日は放送大学時代の同僚の坂井素思さんと春カフェの約束がある。12時に「パン日和あをや」で待ち合わせなのだが、私が忘れ物を家にとりに帰って、20分ほど遅刻した。坂井さんはビールを飲んで待っていた。「飲めない人を前にビールを飲むのは気が引けるのでちょうどよかったですよ」と言ってくれる。

アップルサイダーで喉を潤す。

放送大学の近況や、年金の話や、レヴィ=ストロースの話などをして、1時間半ほど(坂井さんは2時間近く)滞在した。

腹ごなしに歩きましょうということで、夢見ケ崎動物公園をめざす。途中、鹿島田駅新川崎駅の間くらいにある「新川崎タウンカフェ」というところに立ち寄る。

坂井さんは動物よりもベンチの方に関心があるようである。

鹿島田駅から一つ電車に乗り、お隣の矢向駅で下車。

「ノチハレ珈琲店」に入る。

閉店時間の午後6時近くまで、われわれはおしゃべりをした。図書館での過ごし方とか、定年後の生き方とか。

夕食は焼肉(ジンギスカン風)、チーズ入り笹かまぼこ、サラダ、味噌汁、ご飯。

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専門は社会経済学。

西部邁に師事。

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後藤真「「デジタルアーカイブ」とアーカイブズ、そして歴史学を取り巻く現在と未来」『歴史学研究』974号を読む。歴史学系学会誌の多くが電子化公開されていないことが歴史学のディスアドバンテージという指摘、まさにその通り。

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 今何よりも大切なのは、基礎的な営為を枉げることなく保つことでしょう。世界が大きな変革期にさしかかっている今だからこそ、従前自明とされていたことがらを基礎に遡って問い直し捉え直す研究は、いっそう重要な意味を持つはずです。法学と歴史学に基礎を置く法制史学のディシプリンの根幹を強く意識し、しかし狭い専門領域に引き籠り孤立するのではなく、関連諸分野との緊張関係を意識的に保つことによって、学問分野としての存立を鋭く磨き上げることが、今我々にできること、なすべきことに他なりません。

「私が呉座先生の専門である文献史学について素人であるのと同じです。呉座先生は資料を分析し評価するプロとしての技術や見識をお持ちですが、その分析対象の政治、外交、経済については素人です。当たり前のことです」

歴史をなぜ人々は学ぶかといえば、もちろん、真実を知るとかいうこと自体に意味がないわけでないが、もっと重要なのは現実の政治や経済や生き方を考えるために役に立てるためだ。

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創造性の大部分は学際間の類推から生まれると川島教授から学びました。

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資治通鑑 - Wikipedia

確かに大久保利通は、政治の季節到来とともに、新政府の中心人物にのし上がるが、しかし、大久保利通には、西郷や桐野にあるような、武力を背景に戦ってきた武人たちが自然に身に着けた威厳や威圧感というものが欠如していた。しかも、江藤新平大隈重信板垣退助伊藤博文というような有能な若手政治家たちが台頭して、「大久保、何するものぞ」という空気がただよいはじめていた。特に江藤新平大隈重信というような佐賀グループとも言うべき人物たちの活躍が目立ちはじめていた。佐賀グループは、薩長から政治の主導権を奪いかねないほどの勢いだった。たとえば、今は、「岩倉使節団」と呼ばれているが、これは、元々は「大隈使節団」となるはずだった。条約改正問題を念頭に、才気煥発な大隈が、西欧使節団派遣を、言い出したものだった。それに敏感に反応したのが大久保利通だった。大久保利通は、岩倉具視木戸孝允を仲間に引き入れて、「 岩倉使節団」に名前を変更して、「大隈使節団」潰しを画策する。江藤新平はもっと手強い相手だった。江藤新平は、近代法に詳しく、しかも、誰にも臆するところなく、法の適用は厳格であった。

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私は、西南戦争は、大久保の「 近代主義」と西郷の「 封建主義 」との戦いだったという通説は間違いで、そうではなく、大久保の「国権論 」「 国家中心主義 」と、西郷や桐野の「 民権論」「 民衆中心主義」との戦いだったのではないか、と思うようになった。

*1: °ω°