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不思議なことに、西郷は、行く先々で、優秀な学者や文人にめぐり逢うのだ。島津斉彬に随伴した江戸では、水戸学派の重鎮・藤田東湖橋本左内奄美大島沖永良部島では重野安繹や川口雪蓬。つまり西郷は、島流し時代の6年間、重野安繹や川口雪蓬というような優秀な指導者の元で、「学問 」に励むことが出来たのである。さて、福沢諭吉は、西郷擁護論である『丁丑公論 』という論考の中で、西郷を擁護しつつ も、西郷の失敗は、「不学 」だったことにあると言っている。私は、この福沢諭吉の言い方に疑問を持っている。福沢諭吉のいう「学問 」とは、どういう学問なのか、 と。

福沢諭吉の言う「 学問 」とは、机上の空論のことなのか。実践や行動の伴わない空理空論のことなのか。私は、西郷にこそ「学問 」があったと考える。福沢諭吉の言う「学問」は、実践や行動の伴わない、あるいは実践や行動を回避した書生論であり、空理空論である。私も、元々は、福沢諭吉の私塾であった慶應義塾大学に学んだ「 塾生 」の一人だが、学生時代から、福沢諭吉には、あまり興味がなかった。私が、福沢諭吉に興味を持ったのは、西郷擁護論である『丁丑公論 』を読んでからである。私は 『丁丑公論 』の内容には賛成し、感動したが、最後の「 不学」という言葉で、立ち止まった。それでは、「 西郷には学問がなかったが、福沢諭吉慶應義塾で学んだ『塾生 』たちには学問が合ったのか? 」と。

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大津事件の津田三蔵が断刀宣言をし、サラエボ事件の青年が断銃宣言をするがごとき何かを見た気がした。

「知を致すは物を格(正)すに在り」

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#西洋の学問#科学