羽生善治は思う「人がAIに寄りすぎるのはどうなのか」 https://t.co/Iw82ey0XoV
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) 2019年5月20日
――実際に使ってみて将棋の幅は広がりましたか。
考え方の幅は広がった感じがします。今まではこういう手は考えなかったけど、考えてみようとはなったので。でも考える総量は人間の場合、決まっているため、幅が広がることが本当にいいのかという問題があるんですよ。狭く深く考えた方がいいときもあります。プラスになるかどうかはまた別の問題です。
――AIがあまりに強くなりすぎると、人間にとってそれほど意味がなくなるということは。
そういう可能性も十分にあると思います。もう何をやっているのか全然分からない。ソフトは1年で古いバージョンに8割勝つと言われていて、それは驚異的なスピードです。人間が1年前の自分に8割勝つのは相当大変なことです。一方でこうも思うんです。それだけ進歩する余地があるのは、将棋の奥深さを証明してくれているという側面もある、と。
――3月に放送されたNHK杯テレビ将棋トーナメントでは7年ぶりに優勝しました。
AIでいろいろ調べることはできますが、結局は未知な場面でいい手が指せるかどうかが問われている点では、今も昔も違いはありません。どんなに便利になってもどんなにソフトが強くなっても、そこは同じかなと思っています。
――人間が指す将棋の面白さがあるということですか。
そうですね。二つの要素があって、時系列で物事を考えるかどうかと、もう一つは恐怖心があるかどうかです。恐怖心があるがゆえにこの手が指せるとか、この手を選ぶっていうことがよくあるんですね。そこに見ている人たちが共感できるかどうか、魅力を感じられるかということがあると思います。
――AIには結果がなぜそうなったのかが分からない「ブラックボックス」などの課題もあります。
AIの方がミスする回数は少ないと思うんですが、ミスしたときの度合いはAIの方が大きいと思うんですよ。人間はミスするんだけど、極端にとんちんかんなミスはしないと思っています。AIはプロセスで何をやっているのかが基本的には分かりません。ディープラーニング(深層学習)もそうですが、プロセスが大きすぎて解明は難しいです。