「藤井二冠の第一印象は“大泣きした子”」谷川浩司九段が明かす天才の素顔https://t.co/ltMCBQuSCA
— デイリー新潮 (@dailyshincho) 2021年8月24日
――あの時大泣きした子が、フジイなんですよ。
彼の師匠 #杉本昌隆 八段にそう聞かされた時、#谷川浩司 九段の脳裏には、数年前の“号泣少年”の記憶が鮮明に蘇ったという―― https://t.co/fjjFYIEggL
――あの時大泣きした子が、フジイなんですよ。
藤井聡太二冠が「天才少年」と棋界で注目され始めた頃。彼の師匠・杉本昌隆八段にそう聞かされた時、谷川浩司九段の脳裏には、数年前の“号泣少年”の記憶が鮮明に蘇ったという。
「今から10年程前になりますかね。名古屋で行われた『将棋の日』のイベントに出たことがありました。何人かの方にハンディを付けて指導対局をしていたのですが、飛角を落とした一人の小学生とは、終了予定時間が近づいても対局が終わりそうになかった。で、私が優勢だったので、引き分けにしようと提案したのですが」
すると、少年は、将棋盤に覆いかぶさるように突っ伏し、大声で泣き出した。
「負けると泣く子はよくいるんです。でも静かに涙をこぼすといった程度。あそこまで悔しがる子は見たことがありませんでした。困って“どうしようかな”と思っていたら近くに杉本さんがいたのでお任せして。ですから、私の藤井二冠の第一印象は“強い子”ではなく、“大泣きをした子”なんです」
結局、藤井少年は、母親に抱きかかえられてその場から引き離されたそうだ。
谷川九段といえば、タイトル獲得数は27期と歴代5位を誇り、棋界最高位のひとつである名人位も5期獲得。永世名人(第十七世)の資格を持つ大棋士だ。他方の藤井二冠は当時、8歳の小学2年生。駒落ち戦とはいえ引き分けなら大満足のはずだが、それだけ負けず嫌いだったのか。
「それもあるでしょうが、今から振り返ると対局が終わってしまうのが嫌だったということもあったのかな、と。その後、デビューしてから今に至るまでの藤井さんを見ると、将棋が好きでたまらない、将棋を究めたいという熱に溢れている。あの頃と少しも変わっていないように感じます」
「勝ち筋を見つけた瞬間、私の場合は、手が震え、息が苦しくなり……。当時の観戦記を担当された随筆家の江國滋さんは“嘔吐をこらえ、苦悶の表情を浮かべている”と書いたくらいです。しかし、同じ状況で藤井さんは1分将棋になっても気持ちが揺れない。しかもタイトルを獲るための“安全”な手より、最善手にこだわった。藤井さんはタイトルがどうこうよりも、純粋に将棋が好きで、この道を究めたいと思っていることが伝わってきました」
谷川九段は、昨年と一昨年の2度、藤井二冠との対戦経験があるが、その時も同様のことを感じたそうだ。
「昨年の対局では、藤井さんは1時間半以上の長考を2回連続でしました。これだけの時間、プロでも集中し続けるというのは難しいですが、彼は気が緩まず、自分の手番だけでなく、私の手番の時も考え続けている。若さと体力がないと無理なのはもちろん、何より邪念なく将棋が好きだという思いが盤を通してひしひしと伝わってきました。ひたすら将棋を究めようとしているように思います。おそらく彼にとっては、タイトル戦でも、その予選でも、たとえ研究会の対局であっても、まったく同じ向き合い方をするのでしょうね」
実際、藤井二冠は、強豪棋士と続ける研究会でも、場に着いて1分で指しはじめ、終電ギリギリまで駒を離さないとか。
昨秋、産経新聞のインタビューに答えたところによると、休日の生活は〈9時起床→将棋の研究→昼食→研究、将棋中継を見る→夕食、ニュースを見る→11時就寝〉とまさに将棋漬けである。
d1021.hatenadiary.jp
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「余(われ)、厳父に教えを受け、常に書史に渡り候ところ、性質粗直にして」
直にも、いろいろあります。よく気をつけた直、すなわち謹直もあり、まだあまり修業の加わらない、注意の足らぬ直、すなわち粗直もあります。
「性質粗直にして柔慢なる故」
柔慢は、しゃんとしない、バックボーンを持たない、好い気になっていること。
「遂に、進学の期なきように存じ、毎夜臥衾中にて涕泗(ていし)にむせび、云々」
お父さんから、いろいろ経書や史書を教えられたが、どうも性質がよく伸びず、ぐうたらで、これではとうてい、学問も進歩するあてもないように考えられて、毎晩、寝床の中で泣いた――。
ここです。何も十三、十四歳で詩を作ったから偉いというのではない。それも悪いことではないが、この年でそういう教えを受け、勉強をして、どうも俺は人間が駄目で、とてもこれじゃ偉くなれそうもない。学問が進歩しそうもないと考えて、毎晩寝床の中で、布団をかぶって泣いたという、これが大事なところです。この情緒、この感動を、持たねばならないのです。
この精神が有るか無いかで、人間が決まるのです。この情緒(「じょうしょ」「じょうちょ」どちらでも宜しい)を、年とともに、何になっても変わらず、それ相応に持ちつづける人が、本当に偉いのです。
50歳になった羽生善治「引き際の基準は自分の中にあります」https://t.co/b25pvtj5CC
— NEWSポストセブン (@news_postseven) 2021年8月23日
「何歳まで現役を続けるかという判断は難しいんですよね。制度的に自分はかなり長い年数は保障されています。ただ自分の場合はただただやっていればいいのかという問題もあります」#羽生善治 #将棋 #棋士
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