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付き添われた紀子さまも笑顔を見せられたが、このブータン旅行の陰には秋篠宮ご夫妻のとある心配があったと語るのは宮内庁関係者。

「実は、最近になって悠仁さまは、秋篠宮ご夫妻に反発する姿勢を見せられるようになっていたのです。たとえばコンサートを鑑賞された際、休憩時間になった途端に悠仁さまが席を立ち、紀子さまの制止を振り切って歩きだされる場面がありました。紀子さまは慌てるように悠仁さまを追いかけていらっしゃったのです。こうした“まさかの行動”も見方によっては順調な成長の証しともいえますが、いまは悠仁さまの“第二次反抗期”かもしれません」

秋篠宮家といえば、長女の眞子さまと次女の佳子さまも、秋篠宮ご夫妻への反発をあらわにされている。

「小室圭さんとの結婚が延期となっている眞子さまは、いまだに秋篠宮ご夫妻と会話を避けていらっしゃるようです。佳子さまも、今年3月の文書で《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい》と記されたとおり、眞子さまの恋を応援されています。小室さんとの結婚を阻止したい秋篠宮ご夫妻は、頭を悩まされています」(前出・皇室担当記者)

眞子さま・佳子さま姉妹と秋篠宮ご夫妻の対立は、悠仁さまにも影響することが懸念されると前出の宮内庁関係者は語る。

「佳子さまは3月の文書で《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています》と、ご自身の考えを綴られました。もちろん秋篠宮ご夫妻も、“婚姻の自由”は皇族であってもできる限り認められるべきとお考えです。ただ、悠仁さまの場合はそこまで割り切って考えることができない事情もあります。悠仁さまがご両親への反発から、眞子さまや佳子さまのお考えに近づいてしまうのは、避けなければならないことなのです」

現在、皇位継承順位第2位である悠仁さまは、皇室典範が大幅に改正されない限り、将来は天皇となられる。

「結婚すれば皇室を離れるお立場の眞子さまでさえ、お相手には“国民の祝福”がハードルとなりました。“将来の天皇”である悠仁さまのお妃となれば、なおさら国民の視線は厳しくなってしまいます。《一個人としての希望》《当人の気持ち》だけではご結婚は難しいということを、悠仁さまには納得していただく必要があるのです」

一方で、元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、こう指摘する。

悠仁親王殿下のご結婚が難しくなるのは、現在の天皇陛下の次の世代ではただお一人の男系男子だからです。皇統は男系男子で継いでいくとされている現状では、悠仁親王殿下とお妃には男のお子さま誕生という周囲の期待が大きくのしかかります。お妃になる方にかかる精神的な負担は相当大きなものになります」

悠仁さまの“天皇への道”は長く険しい――。困難を極めるお妃選びを成功させるためにも、親子の良好な関係は必要不可欠と言えるだろう。

悠仁さまが面会されたブータン国王夫妻は、ワンチュク国王が17歳のとき、なんと当時7歳だったジェツン王妃にプロポーズ。その14年後にめでたく結婚式を挙げました。秋篠宮ご夫妻も、悠仁さまには仲睦まじい国王夫妻のような幸せな結婚をさせてあげたいと思われたかもしれません」(前出・皇室担当記者)

「皇族が公務で海外訪問された時は、大使館員や宮内庁職員の1人がまとめ役となり、現地でのご動静などを記者にレクチャーします。ただ、今回の訪問では、秋篠宮さまの知人である国立民族学博物館教授の池谷和信氏が取り仕切っていました。

 今回は私的旅行とはいえ、皇位継承順位第1位と2位のお二人の海外訪問で、大手メディアの記者も多数同行しました。大使館員でも宮内庁職員でもなく、皇室の外交儀礼にも、メディア対応にも慣れていない人物が仕切るのには困惑したそうです」(別の皇室記者)

 池谷氏は、秋篠宮さまと自然と文化の研究を通じて親交がある。

「そもそも、今回の訪問の日程から内容まで、秋篠宮さまと池谷氏らが相談して決めたそうです。池谷氏を中心に、どこを訪問するのが悠仁さまにとって有意義かを検討し、事前に現地を訪問し下見までして決定したと聞いています。

 宮内庁職員や皇嗣職は“蚊帳の外”だったみたいです。さらに驚いたのは、秋篠宮家の『宮務官』が1人も同行していなかったことです」(皇室ジャーナリスト)

 皇嗣ご一家である秋篠宮家を支える職員を「皇嗣職」と呼ぶ。その中でも、ご一家の公務の調整や報道対応、身の回りの品々の準備や私的な交際まで幅広く対応する職務を「宮務官」という。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんが説明する。

天皇皇后や皇太子同妃の『侍従』『女官』の役割を担う職員を、秋篠宮家では『宮務官』といいます。公私にかかわらず、侍従は側近業務のまとめ役であったり、外部との連絡調整の責任者であったりしますので、今回、私的旅行とはいえ、宮務官が同行していないことは意外に思いました」

「実は、もともと宮務官のIさんが随行するとされていました。Iさんは警察庁出身なので、皇室の警備にも詳しく、テロなどの危険が伴う海外訪問の随行には適任でした。

 ところが、訪問直前に発表された同行者名簿には、Iさんの名前がなかったんです。その代わりに、昨年10月に三重県庁職員から宮内庁秋篠宮家担当に出向したばかりの職員が随行しました。宮務官ではなく事務方で、外交儀礼に明るいわけでもなく、皇族のサポートの経験もまだ1年にも満たない」(宮内庁関係者)

 なぜ宮務官のI氏の随行はキャンセルされたのか。

皇嗣職大夫の会見で、記者から随行員の変更の理由について質問が飛びました。訪問の“責任者”に当たる随行の宮務官の変更は異例ですからね。しかし、『秋篠宮殿下が決めました』の一点張りでした。

 関係者の間では、“何らかの事情でI氏が秋篠宮さまの怒りを買い、私的旅行の責任者を急きょクビにされた”と話題になっています」(前出・別の皇室記者)

 結局、宮務官不在のままブータンを訪問。前出の皇室ジャーナリストが言う。

「私的な訪問とはいえ、相手国への非礼にもなりかねません。相手国は国を挙げて出迎えるのだから、訪問する側も、それ相応の対応をするべきです。その際、そうした外交儀礼を責任を持って取り仕切る宮務官が不在というのは失礼なことではないでしょうか。

 秋篠宮家は“私的旅行だから”という理由で宮務官を外したのでしょうが、不測の事態が生じたら誰が対処するつもりだったのでしょうか」

 なぜ秋篠宮さまはそうした前例を踏襲されなかったのか。秋篠宮さまは御代がわりによって皇嗣となられる前は、研究のためにタイを何度も訪問されている。

「その時には“宮家の殿下“ですから、比較的自由に行動することができました。しかし、今は皇嗣というお立場に位が上がり、ご自身は皇位継承順位第1位、悠仁さまは同2位です。重責が伴っているのに、秋篠宮さまは、宮家時代のままのお気持ちでいらっしゃるのでしょうか」(別の皇室ジャーナリスト)

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